東日本大震災における救難活動の功績
みんなでがんばろう逗子プロジェクト
神奈川県逗子市の市民団体で、震災直後には水や食料などの物資を陸前高田市竹駒町に運んだ。以来、同町に支援を続けている。特に、支援物資を届ける中、仮設住宅では女性が引きこもりがちになっているのに気付き、女性の働く場を作ろうと、約700万円の募金を集め、同町の材木店等の協力や逗子葉山建設組合の協力で2012年8月に「竹駒食堂」を完成させた。食堂は地元の食材を使い、朝昼営業している。今後は夜も営業して拡大しながら独居老人などの地域のコミュニティと成るようにしたいと考えている。逗子から陸前高田市まで片道600kmを往復しての支援活動。
このたびの「平成25年度 社会貢献者表彰」の栄に浴し、改めて感謝申し上げます。
私たち神奈川県逗子市の仲間で、震災直後から陸前高田市に一点集中で被災地支援を続けてきました。
なぜ陸前高田だったのかというのは、理由は二つです。
- 人口比当りの被災者が飛びぬけて甚大であった
- たまたま友人が隣町に住んでいて、支援活動の情報が入りやすかった
こんな状況から、あちこちと支援の輪を広げることより、一ヶ所の深堀りで支援をする方が極め細やかな対応ができると判断し、実行してきました。
それまでの活動を簡単にまとめてみます。
- 避難所への炊き出し
- 仮設住宅への炊き出し
- 仮設住宅へ下駄箱、押入れの中棚の設置、洋服掛けの取り付け、ベンチの設置(900台)、バーベキューの開催等の支援活動
- 働く場の提供のための「竹駒食堂」建設
- 家庭用生ゴミの製作委託により雇用の創出
下駄箱や中棚の取付けなども、実際に訪問した時に仮設に住まわれている人たちの不便を聞いて、少しでも仮設の暮らし不便が解消されればと施工しましたし、ベンチも隣近所の方々が立ち話しか出来ない状況をみて、もし座って話しが出来れば少しでもコミュニティが成り立つのではと思ったからでした。
震災の7月にバーベキューで元気付けをと企画しましたが、ほとんどの人は震災後初めてビールを飲んだというくらい、暮らしには制約を受けていたのでした。
大勢の人が亡くなって、とてもお酒を口にする気持ちにもなれなかったことなのでしょう。
何度も訪問している間に、支援の対象がどんどん変化していきます。
当初はまずは食べること、それから住まいの手当てとなりますが、その後は人間はやはり生きるには仕事が必要であり、世の中に貢献できることが生きがいにつながるのです。
そのためには働く場を確保することが大事になると感じました。
そこで多くの方々のご支援を頂いて、結果的には食堂が完成しました。
今は他所から陸前高田に働きに来ている人たちの朝食の提供や、昼食の提供を主な仕事になっていますが、それまで食堂の経験のないスタッフの人たちもチームワークよく頑張ってくれています。
本当の被災地の復興には程遠く、相当に長期化になることは明白です。
私たちも「忘れない!!つないでいく!!」を合言葉に、変化する現地の状況に合わせてこれからも支援活動を続けていかなくてはならないと思います。
このたび表彰式に参加して初めて、世の中には無償の愛で奉仕活動をしている方がこんなにも大勢おられるのかと知らされ、驚きました。
20年も30年も黙々と継続されて活動をされているのには、本当に頭が下ります。
財団に対して、このような活動をされている方々に灯りを燈していただけるのは本当に感謝申し上げます。