受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

NPOほうじん いぬねこみなしごきゅうえんたい

NPO 法人 犬猫みなしご救援隊

(栃木県那須塩原市)
NPO 法人 犬猫みなしご救援隊

広島のNPO法人で、犬猫の保護活動を行っているが、震災後すぐに南相馬市に向かい、現状を目の当たりして支援の必要を確信し、バスをチャーターして餌や水を大量に積み、犬猫を捕獲して回った。長期支援を覚悟し、広島から栃木県那須市に移り住み2,500m²の土地を借り、私財を投じて保護施設を開始した。避難施設に住む被災者や遠方に住む親族からの依頼による保護の要請が増えている。現在保護施設の近隣に迷惑料を払い、ドッグランと冷暖房を備えた施設に1,133頭の犬猫を保護、育成している。あと1年は広島に戻らず活動を継続する予定。

推薦者:公益財団法人 社会貢献支援財団

東日本大震災が起きた翌日の3月12日。

その日は私が代表を務めるNPO法人・犬猫みなしご救援隊スタッフの食事会の日でした。

食事会ができるほど平穏な中に居た私は、その席でスタッフたちに言いました。

「東北へ犬猫の救助に行きたい」その時、私自身、どこまで本気で考えていたか今でもわかりません。

ただ、行きたかったのです。何の計画もないけど行きたかったのです。

勤務する動物病院の院長にも同じことを言いました。すると3日間の休暇をくれました。

すぐに、資金と物資を集め、翌3月13日、宮城県仙台市荒浜区を目指しました。

そこで怒涛の3日間を過ごし、犬1頭と猫4匹を保護して広島へ戻りました。

広島へ帰ると、私が3日も留守をしたため、スタッフや勤務先の院長たちは思いのほか疲れていました。

そんな中「猫6匹の保護依頼」が来ました。3月14日に私たちの仙台での救助シーンがテレビの全国放送で流れたからです。

いろいろと気兼ねもありましたが、また3日ほど休暇をもらい、再び宮城県へ入りました。

仙台市は私の想像をはるかに超え震災後わずか一週間で復興意欲に溢れており、岩沼市で猫6匹を引き取ったその足で「放射能が漏れて近寄れない」とラジオが言っていた福島を目指しました。

 

福島県南相馬市に入ると、目に入るものすべてが一変し、危険を教えるポールもなく、陥没して水没したまま放置された国道6号線。そのすぐ向うには食べ物を探して彷徨う犬たちでした。それは今まで見たことのない空恐ろしい光景でした。身震いしましたが、すぐに「ここが私の居場所だ」と思いました。

もう迷うこともなく誰にも気兼ねすることもなく、福島の「福島第一原発20km圏内」と言われているこの場所で彷徨う犬たちを救助し続けよう。

その時の決意は、福島第一原発20km圏内が警戒区域に指定され、なお強まり、置き去りにされた犬や猫を救助し、安定した保護生活を提供するために、栃木県那須塩原市に大型保護施設を建設し、今もそこを拠点に福島被災動物の保護・育成活動を続けております。

 

この度、公益財団法人社会貢献支援財団という歴史ある立派な財団から、人命救助ではなく動物の救助活動を行っていた私たちを東日本大震災における貢献者として表彰していただき、言葉では表現できないほど感謝いたしております。

今後は動物愛護団体として名誉ある表彰の名に恥じない活動を続けて行く所存です。

この度は本当にありがとうございました。