東日本大震災における貢献者表彰
石井 正
2007年に石巻赤十字病院の医療社会事業部長に任命されてから、病院災害対策マニュアルの全面改定に着手し、翌年に担当者実名入りのマニュアルを完成させ、2011年2月に宮城県災害医療コーディネーターに就任した。東日本大震災発生時、同病院は、マニュアルに基づき職員一人一人が無駄のない動きで来院した被災者に対応出来た。また、被災で機能不全に陥った市役所に代わり、自ら避難所環境の調査をしたり、全国から駆け付けた医療チームの支援を災害医療コーディネーターとして取り仕切り、石巻圏合同救護チームを立ち上げ、延べ3,633チームを陣頭指揮を執った。(救護班は延べ53,696人の患者に対応した。)
このたびは、このような名誉ある賞を頂き、大変恐縮している。
僕は、地方病院に勤務するごく平凡な外科医なのだが、その勤務地が東日本大震災の最大被災地である石巻であったため、たまたま成り行きでその石巻の災害医療救護活動を統括することになった。
その活動内容を端的に言うと、
- 石巻医療圏に入った全国からの医療救護チーム(日赤救護班、医師会、大学病院、自治体病院、総合病院、NPO、自衛隊医療班、薬剤師会など)を一つの組織として組織化し、「オールジャパンチーム」ともいうべき「石巻圏合同救護チーム」を立ち上げ、のべ3633チームの救護チーム活動を一括運営・調整した。
- 自ら圏内の最大328ヶ所の避難所の情報収集を継続的に行い、医療ニーズを的確に把握しながら、衛生環境改善や要介護者対応など、時には医療を超えた活動も行った。
- 急性期を過ぎて慢性期に入ると、打撃を受けた地元医療が再生するまで医療支援を継続し、地元医療にシームレスに引き継いだ。
これらの活動が評価されたのだと思うが、あえて申し上げたいのは、僕一人の力で活動していたのでは決してない、と言うことである。
僕らの活動は、医療者のみならずあらゆる組織、業種、立場の人々が集まり、震災と戦ったのであり、僕は参集したこうした「善意の人々」が一つの方向に向いて最大限活きるよう交通整理をしただけだ。その「交通整理」についても、様々の組織(地元医師/歯科医師/薬剤師会、東北大学、当院、日本赤十字社など)の全面サポートがなければ到底不可能であったと思う。
また今回の受賞の知らせを頂いても正直「やったー」という気持ちにはなれなかった。なぜなら、もしも東日本大震災が起きていなければ、被災地など存在しないわけであるから、今でもこの震災の被災地では何事もなく皆平穏に暮らしているはずで、震災が起こらなかった、すなわち僕の受賞根拠が消滅し、従って受賞することもなかった状況の方がはるかによいと、心の底から思うからだ。
しかし現実には東日本大震災は起き、結果としてこのような立派な賞を頂くことになった。だから被災地の思いをしっかり受け止め、浮かれることなく、次の災害の減災に少しでも役に立つように僕らの経験を広くあるいは次の世代に伝えていき、この悲しい体験が無駄にならないよう今後もできる限りのことをすることが僕の責務であると思う。あらためて、身の引き締まる思いである。