東日本大震災における貢献者表彰
岸田 智子
兵庫県看護協会からの災害支援ナース派遣の要請に早い時期から応じ、5月6日から宮城県気仙沼市に派遣回数3回、延べ30日にわたり支援活動を行った。避難所生活が長引いてきたことによる被災者の身体や心の健康問題に対して、市の職員やボランティアらと協働し、避難者ひとり一人に向き合い、長年の経験を活かして対応した。避難所の衛生環境の整備や感染症予防の指導、在宅避難者の訪問活動に取り組み、さらに他の災害支援者と共有するための「チーム引き継ぎ書」を考案・作成し後に続く支援者が有効利用出来るようにした。この30日間の活動に加え、自己の休暇も利用して避難所を訪問した。
東日本大震災から1年が経ちました。被災地の方がたのこの1年のご心痛を思うと計り知れないものがあります。
17年前、兵庫県も未曾有の災害を経験しました。あの時には災害に対しての心構えも低く、発災後の対応の仕方もわからず、ただただ困惑をしていたことを思い出します。
この教訓を活かし、同じような状況を作ってはいけない、という心情のもと兵庫県看護協会からたくさんの支援ナースたちが、今回の東日本大震災の支援に入らせていただきました。
私は5月初旬、気仙沼市の鹿折中学校の体育館で被災者さんの支援活動をさせていただきました。発災当初は500人以上の方が避難されていたと聞いています。2ヶ月が経って200人と少なくはなっていましたが、体育館という生活をする環境ではないところでは不便もあり、しかしそれに対して文句を言われる方もなく避難されている姿にどうしかしないといけない、との思いがありました。
しかし災害サイクルに照らし合わせてみる、発災2ヶ月を経過する時期は慢性期に入っており復興にむけた準備段階であるはずなのですが、今回はあまりにも災害の規模が大きく、また地震だけでなく津波被害、地震後のコンビナートの爆発による大規模火災と災害の種類は多種であったため急性期が長く続いている状況でした。
自分の目の前で家族が津波で流された方、自分の目の前で家が押しつぶされた方、爆発による飛び火で自宅が延焼された方…。お話を伺っていると私が援助ができることはあるのだろうか、と悩んでしまう場面が多々ありましたが「被災者の気持ちは被災者にしかわからない。自分たちのことは兵庫県の人がよくわかってくれる」と感謝をされることがあり、労っていただけることがよくありました。
果たして、私がどのくらいお手伝いができたかはわかりませんがその後6月・7月とのべ30日に渡り鹿折中学校で活動をさせていただき、みなさんに受け入れていただき、声をかけていただきました。
今回は阪神大震災とはまた違う災害のあり方を考える機会となりました。私が、今やらなければいけないことは被災地の現状を地元に伝え、遠隔地からできる支援がないか情報を共有することと、今回の経験を活かし、明日くるかもしれない災害に備えた防災・減災のあり方を考え実行することだと考えています。
今回、兵庫県看護協会から派遣された支援ナースの代表として、授賞していただきとても感謝をしています。ありがとうございました。