社会貢献の功績
こくさいしかくしょうがいしゃえんごきょうかい
社会福祉法人
国際視覚障害者援護協会
昭和46年に日本に留学中の視覚障害者4名によって母体のクラブが設立され、発展途上国の視覚障害者が日本で学び、自国の視覚障害者福祉を発展させられるリーダーを育成できるように奨学金制度を創設。平成7年に社会福祉法人として認可され、アジア、アフリカなど17ヶ国の視覚障害者を留学生として日本に招いて勉学する機会を提供し、経済的自立を可能にする職業としての理療やIT技術を修得してもらうことを目的に活動されている。40年で72名に支援をされている。
アジアをはじめとする発展途上国の視覚障害者の置かれた立場は、かつての日本のようにきわめて厳しい状況にある。周囲の偏見の中で教育の機会すら与えられない場合があり、盲学校に入りたくても盲学校の数が少なく、普通学校に入れても点字の教科書がなかったり、「眼が見えないあなたが、いくら勉強しても時間もお金も無駄。」と突き放されることもあるという。
それに比べて日本は、障害者福祉も人々の意識もまだまだ不十分な面があるとは言え、アジアの中ではダントツの水準にあり、特に3療(鍼・灸・あんま)は、視覚障害者の就労、自立にとって大きな強みとなっている。
そうした中、幸いにも日本に留学できたアジアの視覚障害者4人は、日本留学という貴重な経験を自分たちだけで終わらせたのではもったいない、母国の視覚障害者、アジアの視覚障害者に広くチャンスを提供したいと考えて、奨学金制度を設けた。日本で3療を学んで母国へ帰り、職業的に自立してほしい、日本の社会福祉を体験して同じ視覚障害者の仲間のリーダーになってほしいという願いからで、1982年のことである。会は前史も含めて来年で創立40年を迎えるが、これまでに17ヶ国から72名を受け入れてきた。
また、留学生を受け入れるだけではなく、海外で日本式マッサージの普及講座を開いたり、海外の視覚障害者事情の調査を行ったりもしてきた。文部科学省の補助を得て、盲学校入学前の予備教育(日本語・日本点字・生活訓練等)を行えるようにもなってきた。そして最近では他のNPO組織などとタイアップして、徐々にだが帰国留学生を中心にいくつかの国で、視覚障害者の教育、就労についてのネットワークや支援システムができつつある。
とは言え、順調なことばかりではなかった。中には体調のせいで、あるいは成績が思うように伸びず、志半ばで帰国を余儀なくされた人もいる。また、さまざまな事情で日本に留まっている人たちもいる。ただ、滞日中の人たちも、当初の思いとは形を変えながらも日本と母国の橋渡し役を担ったり、母国の視覚障害者の支援をしたりと、さまざまに社会に貢献している。
現在の最大の悩みは財源的な制約から、留学を希望する人たちに十分に応えられていない、希望があっても人数枠の関係でお断りせざるを得ない状況にあることだ。財政的な強化を図り、一人でも多くアジアの視覚障害者の日本留学を実現し、職業的な自立、社会的な自立をバックアップしていきたい。