社会貢献の功績
梅本記念歯科奉仕団
昭和25年に大阪歯科大学梅本芳夫教授(故人)が学生にハンセン病を病む人々に生きる希望と喜びを取り戻すために歯科治療の奉仕活動を呼びかけたのが始まりで、外界から隔離された患者や回復者の歯科診療をした。60年代後半からは日本国内だけでなく台湾、韓国の療養所でも診療をはじめた。特に韓国での活動は高く評価され、その後タイやベトナム、ラオスなどアジア各国でも奉仕団による診療や治療そして人材育成など60年にわたる奉仕活動が続けられている。
「 梅本記念歯科奉仕団の歩み」
この度、表彰して頂くことになりました梅本記念歯科奉仕団は、ハンセン病に対する偏見と差別を無くす為の啓蒙活動と、歯科医療を通じてハンセン病患者とその家族の方がたに対する支援活動を行っているNGOであり、現在タイ、ベトナム、ラオスの3カ国で活動を行なっています。
この組織は今から60年前の昭和25年(1950年)に、当時大阪歯科大学の教授であった故梅本芳夫博士が、戦後の荒んだ世情の中で将来医療に携わることになる学生達の倫理感を育成したいとの思いから呼びかけ、この活動に共感した学生たちによって、大阪歯科大学救らい奉仕団として設立されました。
当初の10年間は、啓蒙活動を兼ねた街頭募金および音楽や演劇による募金公演を行うと共に、瀬戸内海にある3箇所のハンセン病療養所を中心にした慰問活動が行なわれました。募金公演は昭和55年まで30年間にわたって都合45回、当時の一流のアーティストの方々のご協力を得て行われました。
なかでも昭和47年から51年にかけて、NHKホールで行われた小沢征爾指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による交響曲第九の公演は、毎回今上天皇陛下と皇后陛下(当時は皇太子殿下と妃殿下)のご臨席の下に開催されました。
療養所への歯科診療活動は、昭和35年に当時まだ米軍の占領下にあった沖縄の療養所を訪問するに当たって慰問よりも是非歯科診療をして欲しいとの患者さんからの強い要望を受けて、抜歯や充填に加えて義歯の作製まで行う歯科診療を行うようになり、その後国内の療養所への歯科診療活動は、歯科医官の配属がほぼ充足される昭和52年まで17年間続けられました。
またその間、台湾の3箇所の療養所に昭和39年、40年、42年および46年に診療団を派遣しました。さらに、韓国の小鹿島病院にも昭和43年から診療団を派遣するようになり、そのことが契機となってソウル大学の歯学部にも韓国救ライ奉仕会が結成され、その後私達と協同して韓国の療養所における歯科診療を行うようになりました。
韓国での活動を韓国救ライ奉仕会が行うようになったのを受けて、私共は東南アジアに活動の場を移すことになり、昭和52年から10年間フィリピンのセントラルルソンサナトリウムに診療団を派遣しましたが、当時のマルコス大統領が失脚するという政変が起こったため、中断の止む無きにいたりました。
昭和56年3月に活動の中心的存在であった梅本芳夫博士が大学を退職後、まもなく病に倒れたことから、OBのみで新たに梅本記念救ライ奉仕団が結成され、私が理事長を引き受けることになり現在に至っています。組織の名称についてはライという言葉が差別につながるとの社会的認識にあわせて現在の名称に変更しました。
私が理事長になって以降、1987年からタイ、また1996年からベトナム、さらに2001年からラオスで活動を開始し、現在に至るまでそれぞれの国に年2〜3回診療団を派遣して複数の療養所あるいは定着村に対する巡回診療を今日まで続けています。
東南アジアのこれらの国においてもハンセン病患者の人たちが一般社会で生活していくことは困難であり、患者とその家族たちが集まってコロニーを作って暮らしているのが現状です。
また、これらの国は経済的に発展途上にあり、ハンセン病患者に対する医療も社会保障も極めて不十分であるといわざるを得ません。このような状況下では、まだまだ私達の活動は必要とされており、私達も団設立時の先人達の情熱と志を忘れることなくこの活動を続けていかなければならないと考えています。