特定分野の功績
特定非営利活動法人 はかた夢松原の会
「博多湾の海辺に愛を植えましょう」と 66 歳になった 1987( 昭和 62) 年、女性中心の「はかた夢松原の会」を立ち上げた。
日本の原風景を取り戻すためのクロマツの植林。また「環境問題に国境はない」と黄砂防止のため、中国・黄土高原で村人と一緒に行ったアブラマツによる緑化。22 年間、ボランティアで国内外 140 万本の植栽を続けてきたエネルギー源は、私自身の引き揚げ体験と1本のハサミの教訓にある。
敗戦で旧満州(中国東北部)から日本に引き揚げのとき、眼に映った山河の美しさと松の緑に感動。これこそ日本の原風景と思った。また戦後の混乱期に九大の先生が下さった教訓「女性が生きていくためには、ハサミ1本あればいいよ」で始めた華道・玄雅会。
引き揚げ体験は、女性の自立そのものであった。「夢松原の会」を立ち上げた直接のきっかけは’87年、福岡市の西部に埋め立てられた人工海浜(百道浜)の出現であった。
漫画家長谷川町子さんが住み、「サザエさん」が生まれた古里が消えたのであった。殺風景な埋め立て地に原風景を取り戻そうと、管理者福岡市と粘り強く交渉、官民一体の緑化事業が始まった。地元の新聞は「緑の株券千円、配当は松ぼっくり」とユニークな見出しを付けた。市民参加の植樹活動は夢を植え、愛を育て人をつくる文化運動である。00年に特定非営利活動法人となりその活動は松原復元にとどまらず環境教育・環境保全まちづくりなどに拡大している。
22年後の現在、福岡市の博多湾岸を西部へ抜ける都市高速道路沿いは、全国から寄せられた善意で育ったクロマツの美林が、2.5kmと続き見上げる程に育っている。散策する市民は配当金の松ぼっくりをいつも手にすることができる。福岡タワーからドームに続く松林の中には「夢松原」の記念碑。株主約3万4千余名を刻んだ有田焼の銘板が砂止めに貼り付けてある。自分の名前を見つけた株主が、「この松原は父ちゃんが募金したんだ」と家族に自慢する光景は実にほほえましく、次世代へと語り継がれることであろう。
ボランティア活動にも資金が必要である。会費や寄付金だけではまかなえない。広報宣伝費、通信費、事務所経費をどうするかいつも頭痛のタネである。しかし、楽天家で88歳の私の次なる夢は、次世代に故郷の原風景を語り継いでゆくためにも「環境実践大学」の設立である。
未来に残そう緑の遺産
理事長・川口 道子
受賞の言葉
この度は「海の貢献賞」を表彰されましたことに感謝申し上げます。 1981 年から 2007 年までに全国から 34,430 本の松苗を植樹してきました。 松の成木、苗を、企業、グループ、団体、個人の方々より西日本海浜の風景を多くの人々の募金によって博多湾、玄界灘、沿岸に植え続けその命の力に表彰を頂いたことを深く感謝申し上げます。