特定分野の功績
鈴木 諭
「歪取り」という仕事を始めたのは、今から 38 年前に当社川崎造船(当時は川崎重工業)神戸工場から坂出工場へと転勤したのがきっかけとなった。神戸工場で勤務していた時は、船体組立ブロックの取付作業をしていたが、坂出工場に転勤して上部構造(ブリッジなどの居住区ブロック)で歪取りを行うようになった。
当時の現場は徒弟制度のようなものが色濃く残っており、新人が先輩に歪取りのやり方、こつ等を聞いても全く教えてくれなかった。私もほんの新人だったころ先輩に聞いてみたことがあったが、答えは「誰が教えてやるか!おれは自分で覚えたんだからお前も自分で覚えろ!」であった。そこで私は先輩が実際に歪取りを行っているところを観察したり、昼休みに先輩が歪をとった箇所を見にいったりして技術を身に付けていった。
そうしてなんとか歪取りが出来るようになったのであるが、歪取りの仕事をしながら「これはなんてきつい作業なんだろう。今は若いからできているけど、もっと年をとったら体力的にもたないかもしれない。」と常に危機感を持っていた。そこで私はいつも歪取りをしながら、もっと早く、安全に、きれいにできる方法がないかを考えながら仕事をしていた。
私がこのマニュアルを作り上げたのが今から24~5年前、私が35、6歳のころであった。その時には全歪取り作業者の中でも私が一番早く、きれいに仕上げることができていた。
私は自作のマニュアルを他の作業者にも広めようとした。しかし、同僚、後輩は私のマニュアル通りにしてくれるのであるが、やはり私よりも上の先輩は受け入れてくれなかった。仕方ないので、同僚、後輩のみマニュアル通りに歪取りを行うのであるが、当然先輩達よりも私達のほうが早く、効率的に仕事を進めていた。そのうち、一人の先輩が「そのやり方ええな。おれにも教えてくれ。」と言ってくれ、それから全作業者に私のマニュアルが広まり、上部構造の全作業における歪取りの時間数が激減した。
昔はこの歪取りという作業は、膨大な時間を必要とする非常に体力的にきつい作業だったが、私のマニュアルが広まった後には、作業時間を大幅に削減することができ、より安全に、体に与える負担も少なく行える作業になった。今では私の作成したマニュアルが中国語と英語に翻訳され、中国、韓国、アメリカ、イギリスの造船所で用いられている。どの造船所でも歪取りにかかる時間をおおいに削減できることができたと聞いている。
私は川崎造船という会社に大変お世話になった。歪取りの技術もそうであるが、何より人間的に大きく成長させてもらえた。私は恐らく後数年で現場を引退することになると思うが、その前に私の持つすべてを若い人達に伝えて、その恩に報いたいと思っている。そして、それこそが引退間近の私の使命であると思っている。
受賞の言葉
この度、このような名誉ある社会貢献者表彰に浴する事になろうとは夢にも思いませんでした。 これは40年もの長きに渡り地道に取り組んできた歪取りと言う仕事が功績として認められた結果で有り誠に光栄に思っています。 受賞へ推挙を賜りました関係者の皆様には感謝の気持で一杯です。今後はこの受賞に甘えることなく、より一層職務に邁進し技能の伝承、後継者の早期育成など様々な面で良い船造りに貢献して行きたいと思っています。