社会貢献の功績
名取 美和
1997年秋、タイ チェンマイを訪れた私は、エイズの最終ステージにある患者たちを看取ると言うボランティアをしていたあるドイツ人の女医に連れられ、死を待つばかりのエイズ患者の家々への回診に同行した。まだ20代の若い女性も多く、すでに夫をエイズで亡くし、本人は痩せさらばえ死を待つばかりの彼女らが一番心配していたのは、自らがHIVに母子感染させてしまった幼子をあとに残し先に逝くことであった。
丁度その頃「何かエイズの支援がしたい」と言うGIORGIO ARUMANI JAPAN社との出会いがあり、両親をエイズで亡くした孤児たちの生活施設を作れれば良いのにと漠然と考えていた私としては渡りに船、さっそくそのような施設を見学に行き、土地を探し、スタッフを集め99年11月HIV母子感染孤児のための生活施設を開園した。
HIVに母子感染した子どもたちはその頃2歳で孤児になり彼らの平均寿命も5歳と言われていた。医療関係者でもまたボランティアの経験もない私は、エイズを発症したら救う手立てはないと言われていた子どもたちを前に日々試行錯誤、言葉もままならず、国民性のまったく違うタイ人と働き始めた。
朝から晩まで色々考える暇もないくらいオムツを換え、食事を作り、通院し、遊ばせ、寝かせ…と目の回るような日々がすぎていった。そのような中、やはりエイズを発症させた子どもたち10人が開園から3年の間に亡くなっていった。しかし2002年からは抗HIV薬のタイ国内で製造が始まり、子どもたちにも薬を飲まし始めることが出来るようになったお陰で、それ以降一人の子どもも亡くすことなく今日に至っている。
毎日12時間おきに一生飲み続けなくてはならないエイズの発症を抑えるこの薬は、飲み続けると現れる薬に対する耐性や副作用がどのようなものなのかの臨床例も少なく心配だが、普通の子どもと変わりなく、学校に行き、遊んでいる子どもたちを見ると「今、生きていること」に日々感謝し、この30人の子たちが手に職を持ち自立するまで支援をしてゆこう!そして将来「バーンロムサイ」はいつでも子どもたちが帰ってこられる「実家」になろうと願い、開園から今年で丁度10年が過ぎている。
受賞の言葉
明るい話題が少ない今の日本の社会ですが、多くの方たちがいろいろな形で社会に貢献していると言う現実を受賞会場で今一度気づかせていただきました。遠くタイで行われている私どもの活動に目をお留めくださったことに感謝し、HIVに母子感染した孤児たちが自立しホームを巣立つまで、そして彼らの実家として存続し続けるためにも、この受賞を励みに今後の活動を継続してまいります。子ども達の成長をこれからも見守り続けてくださいますようお願い申し上げます。