社会貢献の功績
佐久間 容子
結婚と夫の転勤に伴い、生まれ育った東北から長崎に移り住み、30 年が経過した。私は学生時代に障害児教育を学んだことで、結婚までの仕事も障害のある子どもたちとの関わりであった。わが子を授かったことが契機になり、保育の道にとび込んだ。そこで、「障害のある子もない子も、できれば大人も共に育ち合いたい」という思いを同じにする人たちと出会った。
そして、1991 年 3 月、遊びの家共同保育園の立ち上げは、子どもたちが茶碗やコップや箸を持参し、佐久間の自宅に集まってのスタートであった。それから 3 年の間、“ゆったりと保育することができる場所”を求めて、仕事が休みのときに車を走らせ、みんなで探して回った。この 3 年間が、求める保育を語る楽しさもあったが、想いだけで経済的にゆとりがなく、先の見えにくい苦しい時期でもあった。
遊びの家は、始まりから学童にも保育にも、すぐに飛び出してしまう子どもや歩けない子どもがいたので、車や騒音など気にしないですむ自然の中で散歩したり、歌を大きな声で歌ったりと、四季を感じ安心して保育が出来るところを探していた。やっと3年目に、みかんの山々にかこまれ、棚田を臨むところに民家を求め、保育が始まった。暗く雨漏りがする園舎であったが、みんなで毎年バザーなど資金作りをし、トイレを簡易水洗にしたり、壁をきれいにしたり、屋根瓦を新しくしたり、改築して使いやすくしたりと、少しずつ暮らしやすい園舎にしていった。
これまで、様々な困難を抱えた子どもの入園があった。なかでも気管支切開で喉にチューブを入れた子どもの受け入れは、役員会でよく話し合って、看護師を職員に迎えることで実現した。またとても残念であったが、障害が重く母子通園での受け入れしかできないこともあった。無認可保育園の財政の厳しさを感じてきた。
現在は、園児34名、学童児14名、職員15名(土曜・長期休み時25名くらい)で運営している。様々な障害のある子どもたちも卒園して行ったが、障害やアトピーなどがある子どもたちだけではなく、一人ひとりの子どもにとって、「身体(五感ー触覚・味覚・視覚・聴覚・嗅覚ー)を育てること」や「食べること」が人として育つためにとても大切なことだということを感じる。そして何よりも、「子育ては大人たちが手をつないで力をあわせてゆかなければ楽しく豊かにならない」のである。
遊びの家がこれからも続いていくことを願い、5年前に全員一致でNPO法人になった。今年で開園19年目になる。遊び場の提供や子育て相談はもちろんのこと、老人施設の方たちとの交流会や、食育や環境の学習会も行なっている。これからは、障害のある方の職場実習を受け入れもすることになった。遊びの家に集うみんなの力を合わせて、子育ての時期だけでなく、生涯を通してかかわれる場所として、地域とつながってゆきたいと思っている。
受賞の言葉
「障害のある子もない子も、できれば大人も共に育ちあいたい」と願い、遊びの家を始めました。厳しい運営ながらこれまで続けることができたのは、子どもたちの笑顔と仲間の存在があったからです。今回の受賞は、共に活動してきた保護者や保育者、そして支援してくださっている方々と共にいただいたものだと思います。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。