社会貢献の功績
井柳 学
国会議員の秘書を長い間やってきた。今や私の経験などは役に立たないが、時折相談を受けることもある。
議員秘書を辞めたとはいえ、税金でメシを食ってきたことに変わりはない。こんな私でも「地元のために」と考えたのが「清掃」。私にできることはせいぜい「清掃」しかないと始めたのが今日まで続くボランティア活動である。
最初はタバコを捨てる人に注意をしながらやっていた。時々言い争いになることもあった。数日後注意した人がやって来て「ありがとう」と言う。私のほうこそ「ありがとう」と言いたかった。暗い夜が明るくなった気がした。
春と夏はごみ袋の中の 8 割はタバコの吸い殻である。私と一緒に注意して廻った方もいたことを思い出される。しかしその方は残念ながら今は冥界の人となってしまった。
秋から冬にかけては街路樹の落ち葉が大半を占め、いつも手をやいている。時間のかかる掃除である。4時間、5時間かかることもしばしばである。始発の地下鉄はすでに動きはじめている。不思議と苦痛とは思わなかった。
十数年前であろうか町会の石井会長から「掃除」のほかに「警備」もやってくれと依頼を受けた。まず手始めに銀座線虎ノ門駅最終電車が出てからにした。深夜にドロボーが出没する。四軒に一軒の割合で会社や民家に侵入されていたからだ。 愛宕警察の協力と町会の皆さんのおかげで侵入犯罪は減りつつある。
そして、夜の世界は酔っ払いに取って代わった。木・金曜日にかけて一番多い。酩酊氏が路上に寝ていると、2台の自転車で遠くからくんだんの酩酊氏の様子を窺がっているのである。行きつ戻りつしてついに酩酊氏の懐に手を入れているではないか。十数年前のことで体力もかろうじて残っていた私は格闘をするはめになってしまった。今も日々新たな酩酊氏の多さに驚きながら清掃と夜警のボランティア活動を続けている。
それが私の健康法かもしれない。
からだが続くかぎり虎ノ門と共に。
受賞の言葉
宮様のお言葉に感涙しその感激を胸に帰宅すると疎遠になっていた北京在住の娘から「お父さんは素晴らしいことをしてたのね」と電話があった。妻も褒めてくれた。この賞は我が家の絆を呼び戻してくれた。職場の仲間や近所の人達の目が優しくなった。昔の友からも連絡があった。自分がこれまでやってきたことがこのような形で返ってきたと思うと大変嬉しい。推薦をして下さった方々、賞を下さった財団の皆様に衷心より御礼を申し上げます。