社会貢献の功績
山本 忠利
平間わんぱく少年団の活動を始めて 30年が経った、昨年8月、子どもたちと「はだしのゲン」の構成劇と和太鼓演奏で記念の舞台公演をした。1,500 人もの人に観ていただくことができた。そして「平間わんぱく少年団ってすごいね。」というたくさんの共感の声をいただいた。舞台の最後にお礼の挨拶では、思わず声が詰まってしまったのを思い起こす。 30 年前の「少年団」は、初めは太鼓の少年団ではなく、まだ週休2日制も無かった時代に、学童保育を終わった子どもたちの居場所をつくりたいと願う親たちが始めた、いろいろな体験をする少年団であった。
地元の子ども文化センターを会場に、お芝居の練習、太鼓の練習、動物飼育などの体験活動をしながら、私の田舎の農家の廃屋を借りて、星の観察、山野草の観察、食べられる野草の採取をしたり、本物の猟師の話を聞いたりした。
しかし、専任の指導員がいない悲しさ、親たちが順番で面倒をみる少年団は、最初の子どもが中学生になる頃には、親たちも一人抜け二人抜け、いつの間にか誰もいなくなってしまった。私が教えていた和太鼓体験だけが残り、結成から1年ほどで「太鼓の少年団」になってしまったのである。私が3交替勤務の仕事をしていて、練習に参加出来る時間が比較的多かったことが「和太鼓体験」が生き残った理由だった。私の不在の時は‘子ども文化センター’の職員にカバーしてもらい、何とか続けてきた。
そして、15年ほど前に、青年になった少年団OBたちが、大人の太鼓グループ「和太鼓祭音」を作った。少年団とは兄弟集団として、一緒に練習・出演をしているが、10年ほど前から舞台公演と海外公演をするようになった。舞台公演や海外公演をすることで一人一人が輝くことが出来、集団が自分の居場所になっている。現在は少年団と祭音の仲間が集まると、小学校1年生から大学院生まで切れ目無く全学年が揃い、その上に30、40、50、60歳代の仲間もいて、まるで一つの仲の良い集落のようである。最近では若いカップルが生まれ、0歳、1歳といった子どもも練習会場を走り回っている。
そういう集団をみているのはとても幸せなことである。自立的で、一人一人が輝ける集団、磨かれたレベルの高い演奏、子どもたちが目を輝かせる目標のある集団になお一層していきたいと思っている。まだまだ挑戦は続く。
(代表・山本 忠利)
受賞の言葉
「皆さんは社会の一隅を照らしている」という祝辞が嬉しかった。子どもたちに太鼓を教えるだけだが、誰が来なくても私が居なくては始まらないから、毎週2日、30 年間ほとんど休むことなく続けた結果のこの日でした。仲間を大事にし、太鼓に汗した子どもたちがみんな真っ直ぐ育っているのも励みだ。体の続く限り、と思う。