社会貢献の功績
坂岡 嘉代子
思春期を突然に襲われた脳脊髄膜炎という病との闘いで過ごしてきた私は、高熱で聴力と視力を失う窮地を救われ、点字や手話を習う機会を得て、聾唖という障害を背負った少年達との出会いを得て、和太鼓の音が腹に響くと教えてくれた一人の聴力少年の言葉に突き動かされるように、太鼓グループを結成した。
やがて国際障害者年国民会議が、東京 NHK ホールで開催され、聴力少年少女達と共に、私自身が輝かせて頂く機会を得た。更に知的障害、重度小児麻痺障害を背負った少年少女達が加わり、包帯でバチを手にくくりつけて練習する姿や、リズムを懸命に覚えようと努力する姿に感動を受けた。教護院を出てバイクで飛び歩き、何度かの補導を受けてきた少年達が練習の場に集まるようになった。
そうした少年達が「和太鼓はぐるま」としてプロ活動するに至り、国立劇場や大阪城ホール、北海道厚生年金ホールや、沖縄から四国九州の演奏のステージに立つなどして命の輝きを見せ、やがて裁判所の試験観察補導委託場所として、非行の立ち直りの手伝いをさせて頂くことに至った。
私は少年達に興行ではなく、人生の明暗を身体で心で知らしめ、生き直しの力に出来ればと、アメリカミズーリー州の医療刑務所を始め国内刑務所慰問28年、スイスのエイズ患者アンカーハウスに4度の慰問、バングラデシュやタイのスラム街での演奏、ハンセン病元患者収容施設や老人ホーム慰問を始めとして、障害者や精神病の為の授産所設立助成公演活動などを主体と、活動の目的を絞ってきた。
その為の収入は見込めなく、少年委託費に頼ること多く、メガネの内職や皿洗いにと寝食を共にする生活の場「はぐるまの家」の維持に苦悩し、様々な体験も重ねた。だが縁を結ぶ少年達が求め続けていた家庭の形や、少年達と家族の在り方を手探る生活の中に、少年達が受けた心の傷の癒しの場が生まれ、今日では里親として少年達を受け入れる事も多くなった。
太鼓は皮の張り替え修理代の苦悩、少年達の腹を満たすべき食事代や家の維持費を含め課題は常に拭えないが、少年達には社会からの恩恵や、自らが社会に還元する働きの重さを持って教えて行きたいと願って止まないでいる。その為にも私自身、親として学び続けて行かねばと心して止まない。私の人生は病み、生死を垣間見た所にあると今も思っている。
受賞の言葉
生き直しを願う子供達との 33 年間の和太鼓演奏ボランティア活動に、もったいない受賞の運びへと光を当てて頂き感謝申し上げます。子供達の後押しあっての事と心して受け止めつ、賞に恥じぬ生き方をさせて頂かねばと思うと共に、子供達と一層活動を深めて行きたいと思っております。