社会貢献の功績
松田 實
松田さんは、20数年前ヒマラヤ山脈の観光でネパールを訪れた。目にとまったのは山々よりも、街中のゴミとそれをあさる子ども、そして犬や牛の群れであった。何かこの国に自分ができることはないかと思ったことが活動のきっかけであった。
大学に勤務中であった昭和63年、学生を連れて同国のスンダルジャル地区で植林のボランティア活動を行なった際に、休憩所として案内されたのが、小学校の建物であった。その学校は藁葺き屋根と柱だけで、土間にビニールを敷いた、ただの小屋のようであった。
校舎の修復にいくらかかるかと尋ねると、約15万円でできる、50万円あれば立派な校舎が完成するという。早速、当時就職部長の経験から著作した就職関係の本の印税などで予定をはるかにオーバーしたが、平成5年に最初の一校を建設した。
その後、多くの失敗を重ねた。現地はお金に対する考え方がルーズである。また明日までという時間的な制約も1ヵ月位にしか思わない。特に現地の調査員の選定には時間をかけた。調査員には松田さんが給料を支払っている。
8校を建設した6年頃から、広島で寄付を申し出てくれる支援者が出て来た。建設の6条件として(1)建設の土地の無料提供者がいる、(2)学校完成後、国や自治体から教員が派遣される、(3)識字率が低い、(4)経済的に困窮している、(5)建設スタッフを明確にする、(6)村民が一致して学校が欲しいという意欲があるということを前提に選定する。特に村民の意欲が大事であるという。
同国では富める者が、貧しい者に恵みを施すことは、あたり前という考え方がある。だからこそ一方的にお金を与えるのではなく、村民も土地や労力を提供することにより立場を同等にさせるようにしている。また現地の学校建設の現場には、選定から完成そして運営状況の確認など相当の回数訪問している。
大学勤務中に「広島経済大学ネパール学校建設支援愛好会」を設立し、クラブ活動として学生達を伴って現地を数多く訪問した。街頭募金、寄付、原爆写真展、紙芝居、劇などにより資金を確保し、70~80校を建設した。
16年に退職したのを機に、それまでの学校建設支援愛好会を同志7名で、広島市の西条町に「ネパール学校建設支援協会In・ひろしま」に改め設立し、松田さんを代表として活動している。個人や企業などの団体の支援が増え、寄付も集まるようになった。特に同市の広陵高校からは理事長から生徒さんまで、学校全体から支援を寄せられている。
このような活動により、今年の3月で101校目が完成する。現在15,000人を越える卒業生を送り出している。高校は建設していない。中学校を2校建設した他の全てが小学校の建設である。
同国全体に小学校ができるようにしたいが、現地の政情不安もあり、予定通りにはいかず、出来た7~8校の完成式をやっていない学校もあるという。
松田さんは、15年に2度の手術を行なうなどの大病を乗り越え、今後は幼稚園の建設を含め、1,000校の学校建設を目標にと活動を続けている。
受賞の言葉
この度の受賞で、「感謝」と「健康」を改めて感じております。ネパールの山村僻地では、教育環境を整えることができないことを知り、さらには教育の必要性が理解されない子女たちの現状を目にし、成功と失敗を重ね自問自答しながら続けた学校建設支援活動。15年の月日が経過していた。そして、100校できた。これからも、教育を望む子どもたちのために、支援協力者を募り、困難を乗り越え、笑顔を贈り続けたいと願っている。