社会貢献の功績
玄 秀盛
ソーシャル・マイノリティとは「社会的弱者」を意味し、協会はその人達のための機関 を意味するという。新宿の歌舞伎町に救護センターを設けたのは、同町は日本一の歓楽街
であり、どんな相談者でも場所がすぐ判る。また社会的な弱者が多く暮らし、行政の目が 届きにくい、そんな人々のよりどころにしようとの思いからであった。
玄さんは、在日韓国人であるが故の差別に加え、離婚した父母の間をたらいまわしにされ、虐待を受けるなど複雑な環境の中で育った過去を持つ。中学を卒業後30に近い業種に及ぶ職業を経験、成人後から45歳までは大阪や東京で不動産、サラ金、スナック、探偵など次々に10数社の会社を経営し、心血を注いで金儲けをやった。
金のためならなんでもやる生活を送っていた玄さんが、救護センターを開設することを決意したのは、自身が発病したら余命一年という白血病ウィルスに感染していることを病院での検査により知ったことがきっかけになった。玄さんの人生に激震が走った。人に対して恨みしかもてない自分が嫌になった。自分自身が生き直すために、弱者を支援する活動に命をかけようと思った。
金儲けの人生に幕を閉じ、経営していた会社も解散した。すべてを捨て、それまでの過去と決別し、自分が生きた証のために平成14年に立ち上げたのが、救護センターであった。担保に出来るものはすべて差し出し借金をした。死んでもなんとか整理出来るように保険に入り、とにかくやりたいだけやり、誰かのために死ねればいいとの思いで、開設から470日余りを24時間体制でやった。結果は資金不足と幻覚に襲われ、運営を現在の方法に改めた。
受付は10時から19時。祭日は休みとし、相談料が30分5,000円の有料の救護センターである。玄さんにしかない経験から、相談者一人一人の具体的な解決方法を見出し、相談者が一歩前に踏み出す勇気を与えるようにしている。
救護センターは玄さんを中心にボランティアにより運営され、ボランティアも500人ほどの登録がある。主に寄付金と著書の印税で賄われている。玄さんの生き様や経歴に多くのマスコミが関心を持ち新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどに紹介され、個人に加え企業の支援も出て来ている。
相談内容は多岐に渡っているが、金銭トラブルが一番多いという。玄さんは「相談内容によっては、新宿の警察や区役所とも連携出来るようになってきたが、両者とも問題が発生しなければ対応出来ない。そこに自分が入って解決してやる。わざわざ遠方から相談に訪れる人もいるので、大阪や福岡の繁華街にも支部をつくりたい」とさらに拡充をめざして活動を続けている。
受賞の言葉
この度、社会貢献者表彰というすばらしい賞をいただき、誠にありがとうございました。
平成14年5月、新宿歌舞伎町に「弱者救済」等を掲げて早や5年6ヶ月約2000日余り過ぎました。これもひとえにたくさんの支援者並びにボランティアの方々の支えなくして存続は出来ませんでした。今回受賞に鑑みてより一層不惜身命を賭して精進してまいります。一日一生。