社会貢献の功績
眞喜子・山田・マゴナラ
山田さんは、北海道苫小牧市の出身、イタリアに美術留学後、現地の男性と結婚、同国の小さな町サンジョルジョ・ディ・ノガロに住んでいる。2人のお子さんの母親でもある。
イタリアでは、被爆国の日本について教科書などで、人類の悲劇として教えられている。同国は大戦の敗戦国として、また近年も隣国ユーゴスラビアでの内戦などから平和教育が盛んであるという。
子育ての傍ら翻訳、通訳、フリーライターなどとして、日本とイタリアの文化の橋渡しをしていた山田さんが、平和のための活動のきっかけのひとつとなったのは、1990(平成2)年頃、東京の友人から「翻訳して平和のために役立ててほしい」と贈られた絵本であった。その本は広島で被爆した家族の話「ひろしまのピカ」(丸木俊著)で、2年がかりでイタリア語版にして出版した。その後この絵本は、北イタリアを中心に平和教育の教材として、広く使われるとともにイタリア全土の教師の研修にも使われている。
そしてもうひとつのきっかけは、‘92年苫小牧市に里帰りしていた折に、たまたま開催されていた原爆被害者の沼田鈴子さんの被爆の証言会に行き、その話に感動したことであった。沼田さんにイタリア語版の「ひろしまのピカ」を手渡し、イタリアでの証言を依頼した。この後、山田さんは、沼田さんとともにイタリアの各地で活動を展開することになる。
そして3年後の‘95年、終戦50周年行事のひとつとして、E・バルドゥチ支援センターやヴェローナ市を中心に、第1回目の沼田さんの証言会の開催を実現させた。山田さんは、補助金の申請、旅行の手配、随行、通訳など必要とされる総てを手掛けた。被爆を乗り越え強く生きる沼田さんの姿は、一般市民や難民とその子供達に大きな感動と励ましを与えた。
‘97年には、イタリア在住の日本人からも協力を得られるようになり、ミラノ市などで第2回目の証言会を開催した。トータルで約5千人が参加し、この模様は平和教育の一環として、同国内のテレビやラジオでも放送された。その後、‘00年には第3回目の証言会をヴェネチアやミラノ市などで開催した。
現在活動は、E・バルドウチ支援センターやウディネ大学の関係者と広島市の関係者との間に交流の輪が広がるなかで、平和のメッセージとして青桐(アオギリ)の種を植える活動ととも展開されている。広島市は平和事業のひとつとして、被爆樹木の発掘と保存を行なっているが、アオギリはその被爆樹木のひとつであり、国連にも植樹されている。
山田さんは「今後も子育てをしながら、頑張りたい」と家族や支援者に支えられながら、活動を続けている。
受賞の言葉
私は生まれ育った日本から北東イタリアのフリウリ県に住んで、27年に成ります。多くの友人と私の家族の協力によって『広島と長崎の被爆、その実相と証言』をイタリアの人々に伝えてきました。名誉ある受賞を心から感謝し、新たな日々の励みとします。さらに被爆アオギリ二世が教える“地球家族の希望”を世界に広めてゆきます。
グラツィエ ミッレ!=どうもありがとう御座いました。