社会貢献の功績
清水 猛
清水さんは、大戦に19歳の時に徴兵され、終戦までの2年間、フィリピン・セブ島の部隊に所属、カモテス諸島などで激戦を経験した。同諸島のポロ島では、米軍に包囲され物資のないなかで、飲まず食わずで戦った。同諸島に派遣された600人の兵隊のうち、1割ぐらいしか生還できなかったという。
戦後、清水さんは1人で現地を訪れ、亡くなった戦友の慰霊を始めた。その後、友好親善が何よりの慰霊になると考え、現地へ文具や衣料品を個人的に贈った。
貧しい現地を見るにつけ、支援の気持ちが強くなった。現地は言葉、習慣、法律などが日本とは全く違う。生活上の約束さえも守られない。高岡市のロータリークラブからセブ市のクラブへ送金しても、現地に届かないなど数々の失敗を繰り返しながら活動を続けた。
平成3年にレイテ島台風の被災者に義援金を寄付するとともに翌年からは、医師団を組織しカモテス諸島(ポンソン、ポロ、パシハンなどの3島)を毎年訪れている。現地のロータリークラブと医師会の協力により、フィリピンの内科、外科、眼科、歯科などの医師、看護師、薬剤師など70~80人の医師団が無料の診療所を開設し、診察、投薬はじめ手術まで施す医療奉仕の活動である。医師団はボランティアであるが、薬や食事などの実費は、清水さんが私財を投じ、これまで約1万5千人以上の島民を治療している。
また平成15年には、向学心は高いが経済的に苦しい現地の学生のために「シミズ奨学金制度」を設け、50人以上の学生の大学進学を支援している。さらには、平成18年に戦友慰霊のためにポロ町の「礼拝堂」の建設費の全額を寄付した。このようなことから清水さんは、カモテス諸島3島の名誉町民の称号を受けている。
清水さんは「フィリピンとの友好親善と戦友の慰霊のための自分なりの貢献であり、生きがいとしてやっている」と言う。以前は3ヶ月ぐらいであった1年の滞在日数が、現在は少なくなってきてはいるものの、毎年冬になると現地を訪れて活動を続けている。
受賞の言葉
この度の表彰ありがとうございました。私の戦争体験から始った行為が日比両国の友好親善、相互理解に役立っていると実感しました。これもロータリークラブセブフェンテ、タカオカ万葉のご支援及びセブ市の内、外、眼、小児科と歯科の各医師会の献身的なご協力によるものと感謝しております。