社会貢献の功績
白岩 久夫
白岩 徳子
お二人は再婚同志である。27年ほど前、徳子さんは張り切って久夫さんの経営する食堂の手伝いに精を出した。ところが手を広げすぎて、3年後に倒産。膨大な借金をかかえて二人は夜も昼も区別なく働いた。久夫さんは運転手、アパートの管理人。徳子さんは子守、ビル清掃、歯医者の受付、新聞配達。とにかく手当り次第に働き返済に追われた。そんな生活の中で「俺たちこれからは、何か社会のためになることをやろうじゃないか」と久夫さんが言った。返済も終わりかけていて、これまでの人生のどん底からつき上げてきた思いであった。この一言が徳子さんの人生の転機となった。
徳子さんにもひらめくものがあった。久夫さんは調理師免許を持った調理人であり、ご夫婦で食事づくりによる社会貢献に乗り出したのは、「食こそ家庭の基本」であることの思いからであった。徳子さんは早速、江東区で募集していた高齢者給食協力員に応募した。だが区の援助は週に一食。それさえ利用できないで亡くなるお年寄りも多く、事なかれ主義の役所仕事に発奮した。
「これじゃ駄目だ。私がやらなきゃ誰がやる」との思いから、昭和59年に「健康手作りの会」を発足した。車2台が入る駐車場を調理場に改装。久夫さんはメニュー作りと調理の傍らで、公民館では食の大切さを説き、徳子さんは消費者団体や社会教育団体の認定を得て、二人の活動に対する地域の連携とボランティアの育成に心血を注いだ。
配食中の久夫さん東京都に事業の補助金申請をするには、区の意見書を付けるようになっていた。江東区に給食事業に対する意見書を依頼したが「区はなにもしない」という返事であった。むしろこれが幸いしたのかもしれないが、平成元年に東京都に助成金の融資を受けることで調理場を作り、本格的に高齢者の給食事業をスタートさせた。徳子さんは51才になっていた。スタッフは夫婦と近所の主婦1人、1食380円、夕食のみ、40軒の配食から始まった。モットーは(1)においしく、(2)に栄養のバランス、(3)にいつも変化を持たせることで久夫さんの腕の見せどころだ。
現在配食は、昼食を含めて調理場のスペースや人員からほぼ限界の一日80軒になった。スタッフはボランティアも含め21人。1食500円となったが区の委託業者にもなった。土曜、日曜、祭日の注文も増え続けている。文字通り年中休みはない。徳子さんは自転車、久夫さんはミニバイクで配食の折には悩みをきいたり、介護の相談も受ける。来訪を待ち受けているお年寄りも多い。
久夫さん、徳子さんのお二人はお弁当の他にも、共稼ぎの夫婦の子供達を預かってボランティアの宅児もするなど、文字通り「ゆりかごから墓場」までのボランティアとして活動を続けている。
受賞の言葉
白岩 久夫
この度、栄誉ある賞を頂きましたことはまことに感激の極みです。表彰式のときは半ば呆然としておりましたが、時が経つにつれて関係者や縁戚の者達、町会の方々の高い評価が寄せられ、この賞の偉大さと格式の高さが身に沁みて感じられました。私共は、今後増え続ける高齢化時代の人々のために奉仕の輪を広げつつ後継者の育成に全力で取組んでいく決心です。
白岩 徳子
この度は社会貢献の功績・日本財団賞を頂き誠に有難うございました。今回の喜びをスタッフ共々分かち合いたいと思います。思い起こせば、24年間にどれだけの方々に応援されながら給食活動を続けてきたことか改めて感謝の思いでいっぱいです。推薦者であられる下村のぶ子様に心よりお礼を申し上げます。有難うございました。