社会貢献の功績
五家 英子
五家さんは、昭和55年に歌手デビュー。昭和56年からの活動となるが、父親が障害を持っていたことから、福祉に強い関心があった。そんなことから「歌手活動を支えてくれる人たちに恩返しをしたい」と車いすの寄贈を始めた。老人施設や刑務所などを慰問した際「一番使ってもらえるのは車いす」と思ったのがきっかけで、最初は車いすの購入代金を渡していたが、その寄付が車いすになったかどうかはっきりしないようなので現物を寄贈することにしたという。
その後ご自身が父親と同じ難病の「網膜色素変性症」とわかり、平成8年には左目を失明した。また同13年にはご主人(54)を交通事故で亡くした。ご主人と築き上げたラーメン店の経営と歌手活動の両立に悩み、一時は歌をあきらめかけた。歌手活動と福祉活動を支えてくれたのは、歌のファンと常連客の励ましであった。「みんなで頑張ろう」と言ってくれたと振り返る。さらには二人の娘さんと妹さんが、ラーメン店を支えてくれることにより慰問活動が続けられているという。
車いすは自費で発表している曲の収益や、チャリティーコンサートの益金で購入。これまで県内外で二千八百回を超える慰問公演などを行ってきた。慰問は特別養護老人ホームや知的障害者の施設が多い。五家さんの歌声に合わせて、お年寄りの顔も明るくなる。刑務所への慰問も数回行った。県内の20か所以上の福祉施設では、月一回の慰問を心待ちにしてくれているので、毎日のように出かけている。スーパーなど大型店舗からも声をかけてもらう時は、ふれあいショーとして募金箱を用意し、集まったお金はそのまま社会福祉協議会へ寄付をしている。
その他の活動として、昭和56年から27年間地元などで「あなたと私の心のチャリティー」(13回)、平成7年から中国北京市における「日中友好チャリティーコンサート」(5回)などの大きなイベントから社会福祉協議会市民講座、教育委員会生涯学習講座での講演も行う。
五家さんは平成19年5月6日、佐野市文化会館で開催した「あなたと私の心のチャリティー13」で「車いす寄贈二百台」を達成した。昭和56年から痛みを持つ者として、少しでもお役に立てればとの思いから始まり、ほぼ毎年のように県内外の福祉施設に車いすを贈り続けてきた。
五家さんは「私だけの力ではありません。周囲の人の力があったからできたことです。これは私に元気をくれる人へのお礼のきもち。これからも車いすの輪を広げていきたい」と右目の失明の恐れもあるなかで元気に活動を続けている。
受賞の言葉
この度、社会貢献者表彰という栄誉ある賞をいただき、私にとって口では言い表わせない程の驚きと大きな喜びの気持ちでいっぱいです。歌手としてデビュー以来28年間、歌を通して慰問公演、ボランティア活動等で少しでも多くの人のお役にたてればと車椅子を贈り続けることが出来ました。この活動は、温かい気持ちで一緒に歩き続けてくれた多くの仲間達の力です。感謝の気持ちでいっぱいです。
この受賞を新たな出発点としてこれからも一人でも多くの人の「生きる力」になるよう贈り続けてゆくつもりです。笑顔と元気で頑張ります。「本当にありがとうございます」