社会貢献の功績
廣中 邦充
廣中さんがケンカに明け暮れていた高校時代、無期停学が明けた直後の暴行事件で、退学も危ぶまれた時に救ってくれたのは、職員会議で泣きながら土下座して「私がどうにかします」とかばってくれた若い男性教師だった。「おれについて来い」と言われ、一カ月教師の家に住み込んだ。真剣に向き合ってくれていると感じたその時の経験から、大学卒業後は総合学習塾などを経営した。その後お父さんが倒れ、平成元年に寺を継いだ。子供を引き受けるようになったきっかけは、長男の通っていた高校でPTA会長を務めた際、あまりに退学者が多く、その子供達の家庭にそれぞれ問題があり、それをそのまま見ていられなかった。そこで「家(寺)に来い」と声をかけ、寝食を共にしたのが始まりであった。
もともとは口コミで広がっていった活動であったが、現在では福祉法に基づいて児童相談所からの紹介を受け、家庭では解決困難な悩みを抱える子どもたちが、全国から集まり共同生活を送る。先ず「おじさんと一緒に頑張ろう」と引き受ける子どもは、必ず二分間の握手で出迎える。毎朝全員を学校に送るなど、ともに同じ目標に取り組む。
そして「夕食は必ず一緒に食べる」、「門限は守る」、「部屋に閉じこもらない」という三つのルール以外は、子供達自身が規則を決める。そして「夜十時以降は携帯電話を使わない」などと書いた規則は「西居院憲法」として張り出す。お寺の一階の6部屋、二階の4部屋全部を子供達が使っているから、廣中さんご夫婦の居住空間は一室のみとなっている。
子どもに向き合う姿勢は真剣で、叱る時は徹底的に怒鳴り叱りつける。その後はとことん愛情を伝え、体を張って子供達を守る。悪いグループから抜けさせるために、暴走族や暴力団の組長に直談判した経験もある。「一人で苦しむな。みんなここに来い」と豪快な笑い声で子供達に呼びかける。親も子供も分け隔てなく怒鳴り、諭すが、親には「子どもが発するSOSに気づいてほしい」と話す。子どもたちの食費などはすべて寺が負担し、年に約二百回の講演や説教による謝礼などで賄っている。
これまでお寺を巣立っていった子供達は五百人以上。現在も小学生から大学生まで十五人が暮らしている。廣中さんは「命ある限り、子どもの心と体の居場所をつくりたい」と活動を続けている。
受賞の言葉
今回の受賞を心より感謝申しあげます。
お役として、1.喜びの心を持つ、2.少しでも人さまのお役に立つ人生を歩む、3.先、人さまの幸せを願うことに邁進しながら for you・withにをと子供達の将来を願いつつ、妻と共に継続できたことに深謝の思いで一杯です。私達の出来ることをあわてずあせらず無理なく頑張っていきたいと思います。妻や家族、子供達に深謝!