社会貢献の功績
三好 洋子
島根県で生まれ育った三好さんは、孤児院の保母さんを目指して上京し、都内の保育園や養護施設に勤務した。孤児院だと思って就職した80人の子供のいる養護施設は、大半が親のいる子供達だった。「なぜ親がいるのに施設で育たなければならないのか」と強い衝撃を受けた。また施設は、交代制の勤務だったので時間に制約があり、子供達と関わりきれないジレンマもあった。子供達が望むときにいつも応えられる存在でいたい。そんな気持ちから、昭和52年に「社会福祉法人青少年と共に歩む会」が主催する「三宿憩いの家」(みしゅくいこいのいえ)の寮母となった。
憩いの家は、中学を卒業した15歳から20歳前後の子供達が、一緒に暮らしながら仕事に通う自立援助ホームである。入所経路は、児童相談所、家庭裁判所、婦人相談所、福祉事務所、児童養護施設、少年院、精神病院などからの紹介で、子供達の抱える問題もさまざまである。非行を行なった少年や少女の中には、親から虐待を受けたりネグレクト(保護者などが子供や高齢者・病人などに対して、必要な世話や配慮を怠ること)を受けている場合が少なくなく、家庭に帰すことが必ずしも少年の社会復帰に役立たないと思われる場合は、家族に頼ることなく自分自身で自活の道を歩まなければならない。
朝は5時に起きて、子供達のお弁当を作ることからはじまり、夜は働きから帰ってきた子供の話し相手になり、生活設計のための相談にのる。子供達を雇ってくれる所は少なく、働く場所を子供達と探すことも三好さんの仕事である。憩いの家は「働きに行く」、「23時の門限」、「生活費の3万円を納める」という三つの規則以外は、誰かに相談はするが自分のことは自分で考え、自分で決めたことに責任を持つということで生活をしている。
三好さんは「憩いの家は生活をともにしながら、社会に生きていくために必要な力を身につけていく所です。普通の家庭には両親や保護者がいるが、家庭環境に恵まれず、非行や犯罪に走る子供達には、当たり前の存在がいない。加害者というよりむしろ被害者だとさえ思う。彼らの苦しみに耳を傾け、誠実に接して、本気でぶつかり、本気で叱ります」という。ここには、見つめてくれる大人がいる。子供達は大体半年くらい暮らした後、アパートや会社の寮に独立して行く。寮母として、約29年間に約200人の男女の社会復帰の手助けをしてきた。
三好さんは寮母を続けている限り、関わる子供達が増え続け、自身が要求にこたえられなくなることを心配し、平成18年に寮母の仕事を後任に託した。しかし社会に出ても、辛いことや苦しいことに直面していると思われる憩いの家の出身者との新たなかかわりの中で活動を始めている。
受賞の言葉
子どもたちと暮らしながら、大人の生き難さの付けをまわしているような負い目を感じてきました。それでも一緒に暮らした子どもたちは「人は一生変われる存在」であることを確信させてくれました。大人自身が生きることに迷う時代、「弱い立場にある人たちが、のびのびと一生懸命に生きていける社会でありたい」強くそう思います。必死で生きている子どもたちとスタッフをはじめ憩いの家に関わって下さっている方々と共にいただいた賞であると受けとめ心からの感謝を申し上げます。