平成15年度 社会貢献者表彰
第二部門/多年にわたる功労
こんどう たかこ
近藤 孝子
(昭 6. 8.11生 /サハリン・東京都)
大戦後サハリン残留を余儀なくされた日本人の生活安定に尽力し、1991年に結成されたサハリン日本人会の中心となって在留日本人の調査と名簿作成、日本一時帰国や永住帰国の推進など、在留日本人のために尽くされている。
推薦者:日本サハリン同胞交流協会
近藤さんは、サハリン(旧・樺太)珍内(ちんない)に生れた。戦後サハリンに残留を余儀なくされた日本人の生活安定に尽すとともに、1991年サハリン日本人会副会長、95~99年会長、現在は同会顧問として同胞の日本一時帰国・永住帰国に寄与し、残留日本人の福祉の向上に大きく貢献した。
1990年、第2次大戦の敗戦でサハリンに残留を余儀なくされた同胞が切望して止まなかった祖国・日本への一時帰国が、日本国内有志の力によって始まった。戦後、日本人であることを隠して生きてきた同胞の絆がこれを機に強まり、翌91年ユジノサハリンスクで「サハリン日本人会」が結成された。戦後の混乱期に、孤立して忍従の生活を強いられてきた同胞を多年にわたって力づけ、生きる希望を与えるため力を尽してきた近藤さんは、日本人会創立とともに副会長として、サハリン在住同胞の調査、名簿づくり、日本の親族探しに奔走した。95年、会長就任後も、持病の心臓病と闘いながら一時帰国や永住帰国の手続き、日本からの訪問者などの送迎・接待にあたった。サハリン物故者名簿、サハリン・ロシア大陸在住同胞名簿などの資料作成も公的機関に代わって行った。無給のボランティアで働く事務所スタッフは高齢化し、公的援助のない事務所の運営は容易ではなかった。
受賞の言葉
私が支援者の力によって日本の肉親に再会できたのは戦後45年目のことでした。北朝鮮から24年ぶりに帰国した人達のことが大きな社会問題になっていますが、サハリンや旧ソ連大陸、中国での放置も北朝鮮の拉致も同根であると思われます。今後も、民間団体の一人として同胞のために尽力する決意です。