第二部門/多年にわたる功労
遠山 正瑛
今年95歳になる鳥取大学名誉教授の遠山正瑛さんは戦前、食料増産という国家プロジェクトで海岸砂丘の開発に従事し、以来、砂漠との付き合いが始まった。最初の訪中は田中角栄総理(当時)による日中国交樹立がきっかけであるという。遠山さんが実感したのは「中国に砂漠研究所はあるが、砂漠開発はない」ということだった。「それなら俺が」ということで、まず蘭州北部の砂漠地帯に5haのブドウ園をつくった。いまでは1,000haにまで広がっているという。
中国の黄河は1972年からほぼ毎年、下流の流れが途切れる「断流」現象が起きている。緑を失った上中流の土地の保水能力が失われたのが主な原因だとされる。大規模な地球の環境変化がもたらした結果でもあるが、一方で住民による森林伐採もまた黄河の上中流の砂漠化をもたらしている。このため、日本への黄砂も増加している。飢えを克服した中国の次の大きな課題は、黄河流域の砂漠化を食い止め、緑化することである。
黄河上流地域である中国・内蒙古自治区クブチ砂漠の恩格貝での植林は、現地で緑化を始めていた王 明海さんが蘭州での遠山さんの実績を知り、招聘したことがきっかけとなった。恩格貝は黄河が北に向かって湾曲するその最北端にある。「蒙古へ行くと祖国を感じる」という遠山さんは、恩格貝の緑化を晩年の仕事と決め、1991(平成3)年にNGO日本沙漠緑化実践協会を設立し、自らは恩格貝に移住して、成長の早いポプラを植え始めた。協会では日本でボランティア隊員を募集し「緑の協力隊」を組織する。隊では1週間から10日のツアーでポプラを1本1本恩格貝の地に手植えする。また春の時期には、現地の人たちを雇って集中的に植林する。砂丘の移動を止めるため、砂漠において農業をはじめとする持続可能な産業の定着を図るのが目標である。2000年3月現在、協力隊員としての日本からの植林ボランティア参加は、延べ約4,000名に達している。ボランティアたちはそれぞれ「アイヌの森」「犬塚の森」など好き勝手に名付けて、自らの訪問の証を記している。
植えられた木は約80%が活着している。95年までに100万本、98年までに200万本が植林され、2001年現在で累計は300万本を超えた。森が生まれ、動物たちが戻り、ついには湖までできた。森林の広がりを示す数字はないという。「砂漠に森が点在している状況ですから」と遠山さんは話す。
恩格貝の植林事業はマスコミを通じて中国全土に伝わり、多くの中国人が関心を寄せるようになった。ぎくしゃくしがちな日中関係にとって、遠山さんと恩格貝の森は貴重な存在となっている。
【脚注】
日本沙漠緑化実践協会ホームページ
http://www.sabakuryokuka.org/
TEL:03-3248-0389