第二部門/多年にわたる功労
弘中 数實
山口県熊毛郡熊毛町八代地区は、特別天然記念物ナベヅルの本州での唯一の渡来地である。昭和15年には355羽を数えていた渡来数は戦後に激減し、平成10年以後は20羽にも満たない状況が続いている。
弘中さんは大正9年、八代に生まれ、復員後は農業に従事する傍ら、一生をナベヅルの保護に捧げ、80歳を迎えた今日でも原付のオートバイで渡来地内を観察するなど、ナベヅルの保護に地道に取り組んでいる地元のリーダーである。
昭和24年、地元八代中学校長の人柄にひかれてツルの保護活動を開始した。秋は早々に稲刈りを済ませてツルを迎え、3月上旬に飛び去った後田植えの準備にとりかかった。渡来中は、早朝にツルの飛来数や気象状況を記録し、日中はツルの縄張り、行動範囲等の調査や観光客等への説明、学識経験者等への資料提供、地元住民との協議等に追われ、夕刻、ツルがネグラへ帰った後は、籾や麦など約30㎏の餌蒔きを続けてきた。
努力が実って、昭和38年に町営の野鶴監視所が設置され、その後は初代の監視員として平成10年までの35年間、詳細な記録の作成とナベヅル保護対策の推進に大きく貢献した。
昭和49年、約50羽のツルのネグラになっていた隣接地区に、突如ゴルフ場の新設が決まった際も、野鳥会のメンバーと連携して近接地に代わりのネグラを造成した。また、ツルの保護を強化するため、昭和60年に“八代のツルを愛する会”を設立し、自ら事務局長、会長、幹事を歴任し、会員の指導にも尽力している。
一方、地元八代小学校の子供達から慕われ、平成2年の秋以降、児童が交代で野鶴監視所に来て、ツルの観察記録、地域の保護活動を新聞形式で1~2週ごとに作成し、ツル日記として地域内の全家庭に配布し、“村おこしの一助”と歓迎されている。
去年、当校の児童は、出水市(九州のナベヅル渡来地)の小学校とも交流を始めており、弘中さんの地道な活動が後継者育成に少なからず貢献している。
最近では、平成6年より県のツル保護対策研究委員会の委員に就任し、地元の代表として永年の豊富な経験に、地域の実情を交えたわかりやすい提言を行うなど、特別天然記念物の保護行政を進める上での貴重な生き字引となっている。