第二部門/多年にわたる功労
福井 千佳子
生後11ヶ月の時、脳性マヒと診断され、母親に読み書きを教わり、リハビリを受けたが全身のマヒは回復しなかった。学校へも通えず、テレビを唯一の友とする毎日だった。両親の離婚、同じ境遇の男性の急死など、希望と失意の中で生き方を模索し苦しむ日々が続いた。 昭和63年、自分の殻に閉じこもる氏の自立を願う母親が、市役所から借りてくれた電動式の車イスで外出し、自宅から40分位の所にある特別養護老人ホーム「新生苑」を見つけた。 約1年間、同ホームへリハビリに通い、親切にしてくれたホームのお年寄りに恩返しをしたいと思っていたとき、アルミ加工会社が空き缶を市民から回収してリサイクルするという、テレビのニュースを見た。
平成2年10月、釣り竿を改良した棒で車イスの上からアルミ空き缶を拾う自立の作業を始めた。好奇の目や中傷から挫折しかけたが、その都度自分を叱咤して頑張った。母親も協力し、早朝5時に起きてゴミの収集場所を一緒に回った。
目的を知った酒店がアルミ缶をまとめて出してくれ、周囲も氏の一途な気持ちを理解して、空き缶を貯めておいてくれるようになった。
半年後の同3年4月、母親が1個ずつ踏み潰した累計3万6千個、約650kgの空き缶を業者に引き取ってもらい、貯まったお金で「新生苑」に恩返しの車イス“空き缶号”第1号を贈った。1年後には毎月約600kgもの空き缶が集まるようになった。空き缶はほぼ1ヶ月に1台、ときには2台のペースで車イスに生まれ変わって、全国各地の福祉施設に贈られた。
同7年秋、空き缶リサイクル100台目の車イスを、思い出の新生苑に贈った。ポイ捨てのアルミ空き缶370万個を集め続けた結晶である。
現在までに102台の車イスを贈った氏は、自立への輪を広げ空き缶リサイクルのネットワークづくりを目指している。