第二部門/多年にわたる功労
東 文子
昭和46年、当時氏は銀行に勤めていたが、東南アジア、アフリカ出身の鹿児島大学留学生と出会って、船や病室で生活している窮状を聞き、彼らのアパート探しに奔走した。当時は国際交流やボランティアに対する意識が薄く、なかなか受け入れてもらえず、入居を拒む家主に水をかけられたこともあった。
同50年、祖国を失った南ベトナム留学生5名の職探しに連夜、地元の経済人を訪ね歩き、ようやく苦境を理解してくれた建設会社の経営者に出会えた。
同54年、政情の不安定な国々の留学生のために行動しようと決意、留学生たちの『いつでも帰れる心の拠り所が欲しい』との切実な声にも心を動かされた。
両親の反対を押し切って退職、鹿児島市内にサロン「心のオアシス・キャビン」を開いた。当時はまだ留学生会館もなく、店は客と留学生が語る場、留学生の心の家、安らげる“オアシス”となった。
妻子を伴って来日する留学生が増えたため、平成元年からは毎週1回留学生会館で、家族に対する黒板もテキストも使わない日本語とお花の指導を続けている。この体当たりの講座は、留学生の妻たちの言葉や生活上の悩みなどを聞く場にもなっている。
住まい(部屋)探し、食料品の差し入れ、祖国の家族と話すためのテレホンカード差し入れ、早朝の帰国見送り、病院への付き添い、家族の出産立会、見舞い・看病等、留学生が直面するあらゆる相談や悩みの解決に尽くすなど、寄附や援助の殆どない中で数百名の留学生たちと苦楽を共にしてきた。
平成10年、子どもたちの心を育む環境づくりのため、毎月1回自宅に留学生、小中高生、お年寄りを招いた交流会「ほのぼの地球家族」を開いている。料理づくりや語り合いの交流にとどまらず、毎回十数名参加する子どもたちが、年輩者の知恵や思いやりの心を肌で学ぶ機会となっている。
同9年10月、氏の活動の記録“ひとりで続けた国際交流…”がラジオで放送された。『国際交流とは人と人との交流、相手の立場になって考える』。地道な草の根交流を実践してきた根っこの言葉である。