日光茅ボッチの会
草を刈り取って束ね、草原に円錐状に立て並べるのが茅ボッチ。かつて日本の里山には牛馬を飼う民家・畑・草原が揃い、美しい花々で彩られた草原には、秋、茅ボッチが立ち並ぶ光景が見られた。やがて茅葺き屋根が消え、牛馬を飼う人もいなくなり、利用価値がなくなった草原は放置され、森へと戻っていった。人が手を入れて維持された草原を半自然草原といい、現在残されているのは国内でもわずか。同会が活動する土呂部は、栃木県日光市街地から1時間程の山間部の集落で、かつて牛を飼っていたことから、その草原環境が残されている。秋にススキや草を刈り取り、茅ボッチにして乾燥させた草は牛の餌や寝床に利用する。同会は地元の人から借りた草原の草刈や低木伐採などを行い、環境を維持する。そこには多くの種類の花や昆虫が自生し生物多様性の高い環境が残されている。冬の時期には、地元の人々と共にカエデの木から採取した樹液を、薪を使い煮詰めて、メイプルシロップ作りを続けている。それが地域の活力につながっている。メンバーは月2回程度、代表の飯村孝文さんは3日に1度は保全活動を行う。過疎化が進み住民は16人にまで減り集落存続の危機すら感じるようになってしまったが、県外からも集うメンバーらの活動によって、地域に活気が生まれ、草原が維持され、まさに自然と人間の共生を実現している。
この度は歴史ある賞をいただき心から感謝いたします。受賞は今後の活動の大きな励みになります。
当会は日光市の山奥の集落、「土呂部」(どろぶ)に残された小さな草原を守る活動をしている団体です。
この草原は、春はミズバショウやスミレ類、夏から秋にかけてはオミナエシ・カワラナデシコ・ワレモコウなどの草原性の美しい花々で彩られます。地元の人々は、初夏にはワラビやゼンマイなどの山菜を採り、夏の花々は「盆花」として仏様に供えます。秋になると草原に、冬場の牛の飼料や敷き材にするためススキなどの草を束ね円錐状に立てかけた「茅ボッチ」が整然と立ち並び、秋の里山の美しく優しい風景が広がります。
全国的には阿蘇・秋吉台・霧ヶ峰などの広大な草原は有名ですが、かつて小規模な草原は全国各地の里山には必ずといっていいほど存在し、茅ボッチが並ぶ里山ならではの美しい風景が見られました。
この草原からもたらされる恵みは、山菜の採取はもとより、茅葺き屋根の材料や家の断熱材、また牛馬の飼料、畑の肥料、炭俵の材料にと、人々の生活に欠かせないものだったのです。そこには、草原や薪炭林、畑・水田などを一体的に利用しながら自然の恵みを絶やすことなく長い年月を持続してきた生活がありました。その草原を維持していくためには草刈り、火入れ、放牧など、人の手による日常の管理や利用が欠かせません。
しかし、昭和30 年代以降、全国的に草原利用は急激に減少してきました。茅葺き屋根はトタン屋根に、馬は耕耘機や自動車に、堆肥は化学肥料に代わり、さらに若者は都会に出て、山村の集落は高齢化が進行し働き手を失っていきました。こうして草原は徐々に人々の生活から遠い存在になり、放置され、あるいは植林されて森に戻っていったのです。
土呂部の草原も人々の日々の努力によって長い年月守られてきましたが、戦後間もない頃には100ha程利用されてきた草原が、40 年前には20haに、現在は6ha と急激に減少してきました。
このため、多様性に富んだ草原環境と茅ボッチのある里山風景を残していくため、2013年に日光茅ボッチの会を設立し、これまで地元の方々が担ってきた草刈りや茅ボッチづくりなどの作業を市民ボランティアが代わって行うことといたしました。明るく開放的で気持ちの良い環境を生かしたイベントの開催や山菜採り文化を楽しむイベントなどを通して、草原の素晴らしさを後生に伝えていければと考えています。
代表 飯村 孝文