受賞者紹介

第56回 社会貢献者表彰
ぱこだのかい

パゴダの会

(大分県)
パゴダの会 代表 古庄 重生
代表 古庄 重生

2004年にミャンマーを訪れた古庄重生さんが、以来同国の子どもたちの役に立ちたいと始めた会。古庄さんはヤンゴンの旅行会社に勤務しながら郊外の小学校に物資支援などを行っていたが、2008年の大型サイクロンの大災害を機にユニセフの手伝いを始め、被災地のエーワデー管区テンゴン村の学校の再建を行うことになった。翌年、友人と共に1校目を再建、その後も多くの知人友人の協力を得て、これまでに18校を再建した。再建にあたり、出資した人には必ず現地に行き現場を見てもらうこと、また現地の人々には労働力を提供してもらうことが条件。井戸掘りや衣類の支援なども行っているが、今後、現地で日本語を教えている友人らと協力し、子どもたちが日本で介護や福祉の勉強をし、働けるような仕組みを作りたいと考えている。

これまでの活動について

私とミャンマーとの出会いは、地元の大分県別府市にあるAPU(立命館アジア太平洋大学)のミャンマー人卒業生との交流からでした。

2004年、初めて彼とミャンマーに渡り、首都ヤンゴンの薄暗い町並みで、物乞いをする子どもたちを目の当たりにし、大きなショックを受けました。そしてこの国で私に何かできることがあるのではないかと考え、ヤンゴンで仕事を始めました。
当初は、旅行会社の手伝いをしながら、ヤンゴン郊外の僧院や尼さんが運営している学校に学用品(ノート、鉛筆、バック)やお菓子を届けていました。

2008年5月、ミャンマーで経験したことのないサイクロンが上陸し、エーワデー管区、ヤンゴン管区と広範囲に災害が起きました。政府発表では、死者、行方不明者含めて13万人もの未曾有の大災害でした。
私は食料を届けようと現地に向かいましたが、当時の軍事政権の検問で外国人の現地入りは出来ないと断られました。私は落胆しましたが、ミャンマー人の若者に食料を託し、後ろ髪をひかれる思いでヤンゴンに戻りました。

その年の8月、現地のユニセフスタッフの誘いで、エーワデー管区にあるテンゴン村を視察し、木や竹、ヤシの葉で作られていた家々や、村の学校が吹き飛んだ無残な姿を目の当たりにしました。
そして、ユニセフから学校建設の依頼をされ、私は友人と2009年3月に1校目を建設しました。その後、様々な村から依頼があり、現在18校になりました。

今後について

ミャンマーはまだまだ学校が足りていない状況で、村々から依頼が多くあります。しかし、コロナ禍、国内のクーダターで訪緬ができない状況です。しかし、今、日本でも出来ることはあると4名の協力者を得ました。ミャンマーの治安が安定すれは、すぐに行き学校建設をしたい気持ちです。1人でも多くの子どもたちに勉強のできる環境を作りたい、子どもたちの笑顔が見たいと強く思っています。

現在、軍事政権下で困難が付きまとうと思いますが、過去の軍政下でも学校建設は行っていたので大丈夫です。少しでも早く元の平和で自由の村々に戻り、子どもたちの元気な笑顔があふれるミャンマーになることを願っております。

お礼

今回は、東京までお招きいただきありがとうございます。表彰に恥じないよう、益々ミャンマーの子どもたちの勉強できる環境づくりに頑張ります。

代表 古庄 重生

  • ジョンタワー村の小学校開校式風景
    ジョンタワー村の小学校開校式風景
  • ジョンタワー村の小学校開校式風景
    ジョンタワー村の小学校開校式風景
  • ジョンタワー村の小学校開校式風景
    ジョンタワー村の小学校開校式風景
  • キーダンゴン村の子供達
    キーダンゴン村の子供達
  • テーワージー村小学校子供達へノート鉛筆寄贈
    テーワージー村小学校子供達へノート鉛筆寄贈
  • ペーヨンセー小学校生徒と広島女学院中、高生徒との交流風景
    ペーヨンセー小学校生徒と広島女学院中、高生徒との交流風景
  • ペーヨンセー村小学校寄贈プレート
    ペーヨンセー村小学校寄贈プレート
  • ペーヨンセー小学校生徒と広島女学院中、高生徒との交流風景
    ペーヨンセー小学校生徒と広島女学院中、高生徒との交流風景
  • テンゴン村訪問
    テンゴン村訪問
  • テンゴン村子供達へ元セレッソ大阪有村さんサッカー指導
    テンゴン村子供達へ元セレッソ大阪有村さんサッカー指導
  • テンゴン村子供達ノート鉛筆寄贈
    テンゴン村子供達ノート鉛筆寄贈
  • カラーゴン村の先生達と
    カラーゴン村の先生達と
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