赤尾 和美
日本で看護師免許取得し臨床経験をした後、アメリカ合衆国ハワイ州看護師免許を取得。ハワイ州のHIV専門団体等でHIV/AIDS予防教育担当・看護師として勤務。1999年、恩師にカンボジアのシェムリアップにあるアンコール小児病院でのボランティアを勧められ、看護師として2ヵ月従事し、2000年からは看護指導者として正式に着任。当初、医療態勢も人材も不足していた状況で、医療のスキルや知識はもとより、人を「看る」ということの意味や命をどのようにとらえるかという倫理も含めた教育を手掛け、常に「学ぶ」ということを実施。看護教育のほか院内のHIV感染症対策にも着手。その過程で、通院が困難な地域や家庭への訪問看護を始め、2004年、訪問看護部を院内に設立し、病院で治療後のフォローアップとサポートを提供する体制を整えた。2013年からはラオ・フレンズ小児病院の立ち上げに関わり、2015年の開院以降現在に至るまで、カンボジアでの経験をもとに、HIVと訪問看護の活動を通して看護教育に携わる。現在、栄養失調、脳性麻痺、 HIV感染症、整形外科疾患等の患者の家庭へ訪問看護を行っている。院内では、マネージメントとアウトリーチプログラムディレクターとして活動し、2016年よりフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表を兼任している。
この度は栄誉ある賞をいただきましたこと、とても感激しております。ラオスからの帰国ならず、授賞式には伺えずに残念でした。
ふとした事がきっかけで全く想像もしなかった途上国の小児医療に20年以上も関わることになりました。今や人生の大半を占める経験となり自分でも驚くばかりです。今回の受賞を機に最初にカンボジアに降り立った当時のことを思い出しました。週に数回しか飛ばないタイからの飛行機で乗客は2人のみ。到着後、荷物は空港職員から手渡しと驚くことばかり。今は10分もあれば到着する空港から病院までの道のりは、ガタゴト道を車で40分の道中で、全てが興味津々、とにかく刺激的でした。未知の世界であったカンボジアでの生活がじわじわっと身体に染み込んでいく感覚、また、当時のワクワクや戸惑いの感情も、つい昨日のことのように蘇ってきました。そして、この20数年の経験は、あの初カンボジア上陸時の衝撃と日々の活動の中から湧き上がってくる”快感“がなければ続けられなかったことだと実感しています。
何をするにも”大変“な日常を送りながら、医療の現場ではそれまでの当然が当然ではない現実に直面し、自分に何ができるのだろうかと悩み気が付いたことは、”当然を作ろうとするから行き詰まるのだ“ということでした。自分の物差しを無理やり使おうとしないということです。とはいうものの、頑固な私はその壁に躓くことは多々ありました。それゆえに、何かを成し遂げた時の達成感と快感は格別なものでした。この快感を追い求め、あっという間に10数年。外国人の長居は無用ですから責任を全てカンボジア人へ引き渡し、活動の地をラオスへと移すことになりました。
ラオスでは、カンボジアの時のようにドキドキするようなことはないものの、“目から鱗”なことがたくさんあります。(今も進行形です) カンボジアとラオスは同じような国だろうと思い込んだことがその原因でした。国が違えば人も文化も医療も違う。分かりきっていたことを改めて認識し、”異文化・異医療“、”人を看る“ということを実感した次第です。
これまで私は現地スタッフに”教える“立場であるはずですが、完全に”教わる“方が多かったと感じています。未知の世界へ導いてくれた今の活動に今後どれくらい関われるのか、これもまた未知です。ただ、私のやりたいことがまだあるなと感じているうちは続けているのだろうと思います。