砂川 元
口腔外科専門医の砂川元さんは、1999年と2000年にベトナムでのこの支援ミッションに参加した。これがきっかけとなり、2001年から当初まだ手つかずだったラオスでも口唇口蓋裂の無償手術活動を始めた。口唇口蓋裂の東南アジアでの発症比率はどこもあまり変わらず500人に1人の割合だが、手術できる技術者がいないことと、手術を受ける経済力がないなどの理由で、大人になるまで放置し生活をしている人もいる。これまで約400名の手術を行い、多い時には2週間弱の滞在で36名の手術を行った時期もあるが、現在は一度に15~16名程度。発症率が減っているわけではなく、他国の治療ミッションも入ってきていることや少子化の影響で必然的に人数は減ってきている。しかし、他国のチームは若手のトレーニングで行われることが多く、患者家族は、ベテラン医師が施術してくれる日本人医師を信頼していて希望する人が多い。若手を連れていくときには砂川さんも必ず一緒について手術を行うことにしている。現在では、現地の医師も技術的には十分手術は可能だが、治療費も入院費も払えない人々は、治療費や交通費まで負担する砂川さんの医療チームを頼る。また歯みがき指導や歯科検診なども行っている。
この度は、公益財団法人社会貢献支援財団から栄えある「第54回社会貢献者表彰」を賜り、心より感謝申し上げます。
1947年生まれで団塊の世代である私は、嘉手納米国空軍基地のある沖縄で生まれ育ちました。多感な高校生の頃、ベトナム戦争が激しく、連日嘉手納基地からB52爆撃機が北爆へ向かっており、悲惨さを目の当たりにしていました。そのような環境で育ち、琉球大学医学部歯科口腔外科在職中で口唇口蓋裂治療を担っていた頃、日本口唇口蓋裂協会常務理事の愛知学院大学歯学部夏目長門教授を中心に行われているベトナム国ベンチェ省での活動を知る機会がありました。「ベトナム」という言葉に敏感な私は、夏目教授の誘いで同活動に1999年と2000年の二回、喜んで参加しました。これらの経験から2000年には、ラオス国における口唇口蓋裂治療に関する事前調査が行われ、2001年から『口唇口蓋裂患者に対する無償手術活動』が琉球大学医学部附属病院を主体に開始されました。
2001年12月、ラオス国の首都ビエンチャンにあるセタティラート病院で、第1回の「口唇口蓋裂患者に対する無償手術」活動が開始されました。
第1回目の参加スタッフは、口腔外科医5名、麻酔医1名、看護師2名、コーディネーター1名に現地の通訳2名、計11名であり、およそ60名の患者がセタティラート病院に集まっていました。これら60名全員に対して手術を行うことは、限られた期間と安全な手術を行わなければならないことから困難であり、その中で、全身状態に問題がなく遠方から来られ、年齢の高い患者を優先し23名に手術を行いました。
2001年から2019年までに手術を行った患者は363例であります。
口唇裂の患者を持つ母親は、患者誕生直後から手術を受けるまでの期間、悩み続けていた訳でありますが、手術後は、母親の安堵感や喜びがひしひしと伝わってきましたし、患児は泣いているもののその両親は喜びの笑顔であり、学童年齢になると「ピースサイン」をして、スタッフに喜びと感謝の意を表していました。このような場面は、特に若い医療者に高いモチベーションを与えるものでありました。
その中で、特に印象に残っている患者は、600km離れた地方から生活の糧としている家畜等で費用を工面して来院した患者。手術終了と同時に半覚醒状態にも関わらず手を合わせて“コプチャイ(ありがとう)”と感謝の気持ちを表した10歳男児。手術翌日には荷物をまとめ「これで結婚出来ます!」と笑顔で話し、退院した37歳の男性など、数多くの患者が走馬燈のように思い出されます。
現在のラオス国は、経済的発展が十分でないため、患者家族が口唇口蓋裂医療を受けるための治療費に関して経済的に厳しい現状があり、本活動は、患者の治療費や交通費などの経済的援助も含めて実施してきていることで今日まで継続できています。今後はラオス国における口唇口蓋裂治療がラオス国内で完結するためのラオス国自身の経済的な発展に期待することと同時に多くの口唇口蓋裂患者や家族に「笑顔」を取り戻すべく、活動の原点を忘れることなく、継続してラオス国への医療援助活動を地道に行っていきたいと考えています。
最後に、社会貢献支援財団のますますのご発展と関係各位のご健勝・ご活躍をお祈り申し上げます。誠にありがとうございました。