バングラデシュの人々を支える会
1998年、バングラデシュが100年に1度といわれる洪水被害に見舞われた際、当時名古屋大学大学院環境医学研究所に留学していたモハマド・アオラド・ホセインさんから、母国の洪水被害の人々の救済をしたいと相談された横山紀子さんは地域の主婦たちとダンボール箱38個分の救援物資の衣料品等を送った。それに先立ち横山さんたちは、寄付金を持って現地に向かい、購入したサリー5,000枚を無償配布した。だが、想像を絶する貧困を目の当たりにし、今後も引き続き支援活動をしていこうと、1999年「バングラデシュの人々を支える会」を設立。
農村部にあるシブチョール村の島地区を拠点に、女性の自立支援・子どもの教育支援を目標に活動を始めて20年目を迎えた。
女性たちが経済的に自立するため、2001年に牛牧場を設けたが、数年後経営が難しくなり、牧場の代わりに女性1人に牛を1頭ずつ、計100頭を供与し、自宅で飼育することにした。結果、個人で牛を所有することで自助意欲がでて、経済的に自立できるようになった。
島地区の親たちは読み書きができないため、子どもたちが貧困から抜け出せるように村で初めての小学校を2011年に建設。当初は13人だったが、2016年には118人まで増え、読み書きや算数、ベンガル語や英語などを学んでいる。
「島(中州)地区の貧困女性と児童への支援」
この度、(公益財団法人)社会貢献支援財団の栄誉ある表彰に浴することができましたのは、当会の活動に関わってきました者として、この上もない喜びであります。また、財団に向けまして推薦していただきました関係諸氏に、心よりお礼申し上げます。
当活動は、1998年100年に1度といわれる大洪水に見舞われましたバングラデシュから、当時名古屋大学大学院へ留学して研鑽に励んでいたアオラド・ホセイン氏の要請を受け、被災者への救済として、地域で収集した、中古・新衣料や義援金で購入した民族衣装のサリーを現地の農村部(ナラヤンガンジ県)に配布しました。
その後、この国の農村部の恵まれない女性と児童とを継続して支援していくため、1999年「バングラデシュの人々を支える会」を設立しました。
当初取り組みましたのは、社会的に地位の低い農村部の女性の自立支援としてナラヤンガンジ県に「富士シャプラ牧場」を開設し、3名の女性を雇用しました。しかし飼料代が嵩み、飼養も不十分で、この牧場は事業として黒字化は難しいものでした。
牧場に代わる方策として、2005年マダリプール県の貧困女性に牝牛を1頭ずつ提供する方式に切替えました。
この方式により、女性が飼育を通じて得た現金収入は結果として、女性の自助意欲を高めることに繋がり、家の改築や、ソーラーパネルの屋根の設置などによる生活の向上が見えてきました。
所期の目標である「100名の女性に、100頭の牝牛を提供達成する」ことをしたのを期に、2014年この支援活動を終了しました。
本土から遠く離れた島(中州)地区では生活のレベルは本土より低く、親のほとんどは読み書きができず、児童の教育は皆無でした。まず親に教育の必要性を認識させることを最優先課題とし、島民との対話から始まり、会を重ねることにより、2011年小学校を開設しました。ベンガル語の読み書き、算数、英語を教えています。現在、3名の教員により、子供たちの生活力・人間力の育成を目指した指導をしております。
学校の運営は教員・住民の代表・父兄で作る運営委員会が行い、1年生から5年生まで100名の児童が在学しています。
雨期になれば洪水のため、道の全部が冠水し,学校は3か月間休校せざるを得ませんが、学ぶことを通じて、例えば、ある女の子は先生になりたいと、将来への希望を持つことができるようになりました。
いま学校は教育水準をより高め、政府への移管を目指して努力中です。
現地での活動の展開については、南アジアの気象条件、社会インフラストラクチャー状況、所得格差や、インフレなど、経済政策、人材育成の方針など、さまざまな、国際関係のむずかしさに直面する経験の連続でした。
代表 横山 紀子