東日本大震災における貢献者表彰
石見 喜三郎
中越地震のボランティア作業に参加した経験から、東日本大震災の被災地を見回り、4月下旬から、いわき市や石巻市などで単身で赴き瓦礫の撤去や野菜を届けるボランティアを行った後、支援の届きにくい「牡鹿半島」を中心に活動するようになった。7月中旬から立川市の市民グループの仲間などと共に「牡鹿半島を支援する会」を立ち上げ、被災者の要望を聞いて作業や物資の調達等を行い、現在も続けている。12月上旬には「被災市へのお歳暮」と称して米、餅、野菜類を220世帯に届ける活動を行った。
この度、柴崎治生氏にご推薦を頂き貴財団の「東日本大震災における貢献者表彰」を受賞するが出来ましたことは、この上ない喜びであると同時に皆様方に感謝の気持ちで一杯です。
私は、昨年の4月末から一人で北茨城市、いわき市、石巻市をヒヤリングした結果、支援先を石巻市に決め、5月は石巻市街地で2、30代の若いボランティアの仲間と一緒に、瓦礫の処理のお手伝いをしました。
6月からは、牡鹿半島へ通っていましたが、7月末、数人の知人から一緒に支援活動をしようとの申し出が有りました。現在、仲間は十数人に増え、私の牡鹿半島での滞在日数は、延べで110日位になります。
私が牡鹿半島へ入った当初は、津波の傷跡が生々しく、瓦礫があちこちに置き去りにされていました。
一方、被災をされた人からは、将来の展望等を語れるような余裕は。全く感じ取れませんでした。焚き火を囲みながら、よもやま話をしていました。住まいや生活の糧の漁船、養殖設備の全てを津波に浚われ、この先、如何したら良いものかと不安が一杯の毎日だったのだろうと思いました。
私が支援先に選んだ牡鹿半島は、市の中心地から離れていて支援の手の届き辛い地域です。この地の復興状況を見れば、宮城県の復興の速度が、判るはずだと思いました。
我々はこの地で顔の見える、心の温かみの伝わる支援をしようと立ち上がりました。
これまでの、主な活動を列記いたします。
- 2011.7.15.牡鹿臨時保育所の開所にあたり園児(35)にお土産を贈呈
マグカップ、巾着袋、レジャーシート、アンパンマンのお菓子 - 2011.10.1.親子紙飛行機大会、大原小学校(生徒、父兄で60)
紙飛行機キット、昼食弁当 - 2011.12.4,5仮設の方々(220)に正月用のお歳暮贈呈
米(旧川口町武道窪の農家の支援)、餅、立川産野菜 - 2012.1.11.牡鹿半島の保、小、中の子供にお年玉を届ける(210)
我々の会は、個人の方々からの寄付金と募金活動で頂いたお金で運営されています。
最新のニュースを書きます。
- 其の1.牡鹿半島の小渕浜は今、ワカメの収穫で賑わい出しています。
震災後、初めての大きな収入源です。漁師は、朝早くから沖へ出てワカメを舟一杯に積んで来ます。陸では、男性に混じって多くの女性が、後処理を手伝います。この作業は4月下中まで続きます。
このようにして一歩一歩復興が、進むことと思います。 - 其の2.立川市には、宮城県から9世帯14人の方々避難されて来ています。
個人情報保護法の壁の厚さの為、中々連絡の取れなかったかた其の方の三人とやっと連絡が取れました。
偶々、私が牡鹿半島にいる時(3/2,3)、其の中のお二人から電話を頂きました。今日、市役所から我々の会からの手紙が届いたので嬉しくて電話したとのことです。其の方は南三陸町で被災し79才のご主人は未だ行方不明だそうです。早速、私は南三陸町へ行き地元のワカメとめかぶを送り、住んでいた周りの写真を一杯撮って来ました。近いうちに其の方に届けようと思っています。
私はこの電話を受けた時、活動をして来て良かったと思い、又、一つ新たな人との絆が出来たと嬉しくなりました。現地の支援と同じ位、立川に居る避難者の支援が大事である事を改めて感じまた。 - 其の3.4,5月には家族の記念写真を撮って額に入れて差し上げようと用意を始めました。多くの家族が津波で大事にしていた家族の写真を流されてしまいました。
頂いたお金は、今後の支援活動に有難く使わせて頂き、被災者と共に感謝いたしたいと思います。