東日本大震災における貢献者表彰
大谷 哲範
山形市在住のミュージシャンでありカウンセラーで、震災直後から被災地支援の活動を開始し、初期は炊き出しや物資の支援、その後は復興支援活動を継続的に行っている。被災地の子どもに、全国からプレゼントを集めクリスマスプレゼントを贈るプロジェクトを行なったり、主に宮城県や山形県内の避難所でボランティアでカウンセリングを行う等様々な支援活動をおこなっている。
日々の活動を振り返ることはあっても、このように改まってこの一年への想いを文章で表現するのは初めてです。この機会を与えていただいたことに感謝します。
私達は、カウンセラー、セラピストが中心となり、山形地域の対人援助、コミュニティーの再生を目的に活動をしてきました。その基盤があったからこそ、震災当日から現在までの活動が可能であったと自負しております。
でも、こんなに継続が大変なことだとは!
初心を忘れずに現在を生きることに、こんなにエネルギーをつかうものだとは!
すれ違う思い持つ人々と、時を共に過ごすことが、こんなにつらいとは!
「震災当日はどうでしたか?」と、都会からやってきたボランティア。
「さあ語ってください。あなたの心の内側を」と、優しい笑みを浮かべたカウンセラー。
「もしよろしければ、ご家族を亡くされた時のお気持ちを」後ろにカメラを控えた、
マイクを持った手が語りかける。
温度差という簡単な言葉で括られた、見えないベールの両側を行き来する現場での日々。
それは、虚無という内側と、風化という外側の現在進行。
決して埋まらないかのように思われる二項対立の隙間。
山形というHOTで静かな「準被災地」は、14000人の避難者と、継続不可欠な隣県津波災害地への支援が叫ばれる中、低迷する経済状況による息切れと、無関心が混在しています。
政治的解決に、まだ期待をよせますか?
失望に色濃く被われた東北地方の一次、二次被災地に本当に必要なのは物質文明、拝金主義に基づいた「論理的手法」などではないのでしょう。
「俺達は、あの焼跡で、リンゴの唄をくちずさみながら元気だったよ。新しい世の中を作ろうという、俺達が作るしかない、という希望に燃えていたんだ」
もうすぐ90歳になる父の言葉です。