東日本大震災における貢献者表彰
蓬莱まちづくりコミュニティぜぇね
平時は福島市蓬莱町蓬莱団地で高齢化が進んだ居住者のため無料のコミュニティバスの運営をしている。震災直後は一人暮らしの利用者の安否確認に走り、バスの待合室などを開放した。バスが運行が困難な時には高齢者の水汲みや買い物代行も引き受けた。また5月連休頃まで福島市の避難所で数回炊き出しの応援や、支援物資の配達もした。夏には協力者を得て福島の子どもたちの夏休みを県外で過ごす取り組みや線量計を調達してモニタリングなどを行った。9月からは飯舘村の仮設住宅がある飯野町と松川町と蓬莱ショッピングセンターを結ぶ仮設住宅間バスの運行を行い、仮設住宅コミュニティと外出支援を行う等の活動をしている。
この度は、東日本大震災における社会貢献者としてご選考頂き、誠にありがとうございます。とても嬉しく、また光栄に思っております。
震災から、一年が経ってしまいました。本当に、無我夢中で過ごした一年でした。
私の住む福島市の中通り地域は、沿岸部の浜通りに比べ地震の被害も少なく、もちろん津波による被害もありませんでした。
ただ、思いもかけず、福島第一原子力発電所の爆発による放射能に翻弄されております。
目に見えない放射能との戦いの日々ではこざいますが、同時に目に見えるかたちで、被害に遭われた方たちが、大勢県の内外に避難されております。
自分たちに出来ることは何か?と震災直後から動き始めました。私は通常NPOとして、福島市南部に位置する蓬莱団地という、開発してから40年が経過し、少子高齢化が進む住宅団地とその周辺の蓬莱地区において、無料コミュニティ循環バスを運行しております。
直後は、電話も通じませんので、一人暮らしのお年寄りの安否確認に走り回りました。また、余震が続いておりましたので、その夜は、私共の事務所があるショッピングセンターの駐車場が、ぎっしりと車内で夜を過ごす人で埋まりました。
夜間は、無人になるショッピングセンターですが、蓬莱地区は、電気が点いておりましたので、私共の事務所の明かりを一晩中灯して、トイレも解放いたしました。
翌日から給水車に並んで、お年寄りへは水を届け、長蛇の列に並んでは、限定販売のスーパーへ買物代行をいたしました。
ガソリンが不足し、バスの運行を3日間休みました。でも、怖い思いをしているお年寄りにとって、外出して誰かと「怖かったね」「でも大丈夫よ」という場が必要と思い、いろんな方の協力をいただいて、4日目からバスを走らせることが出来ました。
以下は、浜通りから続々と避難して来られた方へ、行った支援です。支援物資の呼びかけからお届け、避難所への炊き出しや訪問活動等。放射能を吸収するという向日葵の種を、近隣の農家の方たちと蒔きました。向日葵の種は、全国から実に1t近くの種が集まりました。
夏休みには、子ども達を県外で過ごす取り組みを行い、延べ103人、63日間お世話させていただきました。
今は、仮設住宅間の循環バス運行を通じて、仮設住宅コミュニティと外出支援を行い、閉じこもり防止と健康維持のため、健康講座を定期的に行い、避難されている方の自立支援をしております。
今年は、県外へ避難されている方々への、ご支援をさせていただきます。
まだまだ、放射能の影響は続きます。全国の皆様に、ご支援いただいたことに感謝しながら頑張って行きますので、被災地のことを忘れないで長く応援して下さいますよう、お願い致します。