東日本大震災における貢献者表彰
こどもきんきゅうサポートネットワークふくしま
NPO法人 まごころサービス福島センター(子育て支援部門)
こども緊急サポートネット ワークふくしま
平成18年から福島県全域で子育て支援をしているNPO法人。震災後直ちに、原発から逃れてきた、沿岸からの乳幼児を抱える避難者のため、おむつや粉ミルク、子供服等の支援物資の調達や炊き出しを行った。9月からは子育て支援に係るスタッフの養成研修会を実施し、仮設住宅に暮らす世帯の子育て支援をおこなっている。現在、仮設住宅に暮らす子どもの学習支援も検討している。
授賞式にお招き頂き、ありがとうございます。
シンディ—・ローパーも語っていました。「私たちができることは、東北からものを買うこと。福島のお酒を買って下さい。目の前で、人が転んだらどうしますか?私は、手を差し伸べるような人間になれと育てられた」と。
福島人は、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも放射能にも負けずに暮らしています。
どうか忘れ去ろうとしないで下さい。福島は、生きています。
あの日から3週間、市内はガス・水道が斬絶。店は、閉鎖か買占めで品不足。朝2時からガソリンを求める長蛇の列。
想像してください。風呂やトイレ、温かい食事といった日常が制限される生活を。配給車に並び、食糧を確保し、昼夜を問わずに、頻発する余震に警戒する日々を。その状況でも、仕事は仕事をいわれる現実を。
その間にも、放射能から着の身着のままで、逃げて来きた避難者が2万人。「子育て支援をしている団体ですが、ミルクは、ありませんか」ようやく繋がった電話でそう言われたら、全国の関連団体から支援物資を集めて配るしかありません。目の前の店に、商品がないのですから。
物的支援が落ち着き始めた夏頃からは、虐待・いじめといった心の問題が表面化してきました。避難所という閉鎖空間での集団生活が、数ヶ月も続くストレス。避難所を転々とする子どもたちの学力低下、非行化も見えてきました。
この時期、当方でも炊き出しを行いましたが、小さな避難所には、物資が届かない、支援者も来ないという格差も生じてきました。
秋、仮設住宅に避難者が移る頃、当方も、当方も子育て支援特化型の居場所事業を始まました。仮設住宅での生活は、孤立化、孤独死を生むと阪神淡路大震災の事例が、復興会議等で語られるようになったのも、この時期です。
当方では、放射能問題で外遊びが制限されている子どもたちのストレス発散として、芸術療法を始めました。壁一面に向かい、好きなだけ画材を使い、時には手足も使い自由に表現する。課題も指摘も指導もありません。
一方では、学校支援も始めました。特に受験生は、避難所を転々とする暮らしの中で、勉強が遅れているというハンデがあります。この原稿を書いている頃。ちょうど受験の本番です。
さて、今後についてですが、福島人は、何を望むか。それは、生活再建、具体的には、住と職です。放射能で、(自宅に)帰れないという地域もあります。風評被害で、物が売れないと嘆く地域もあります。その中間で、避難か留まるかの選択を迫られている地域もあります。
福島県は、日本で3番目に広いのです。地域で望みも異なります。
皆様にお願いしたい事。温泉やスキーにでも来て下さい。福島のお酒が待っています。