受賞者紹介

平成24年度

東日本大震災における貢献者表彰

よしだ ひろふみ

吉田 浩文

(44歳:宮城県名取市)
吉田 浩文

仙台市で被災し自宅のある名取市閖上に戻る途中、閖上大橋で大型トレーラーが起こした荷崩れ事故に遭遇し混乱の中警察に通報した。その後、家族と閖上小学校で再会したが、そこに津波が襲来。学校の裏に人や車が流されてきたことから、校舎に備え付けてあった消防ホースを身体に結び付け、水に流されようとしている女性3名と、木に掴まっている男性1名を救助した。(女性のうち一人はその晩に死亡)。また3月14日より、ボランティアでダイバー隊を結成し、付近の河川などで遺体や遺留品の捜索を4月25日まで不休で行った。

推薦者:名取ハマボウフウの会、
特定非営利活動法人サンクチュアリエヌピーオー 馬塚 丈司
月刊復興人

昨年三月十一日、名取市閖上地区で地震と津波の被害に遭いました。避難した小学校の窓から、桜の樹につかまって助けを求めている年配の男性が見えました。他にも校舎の壁にしがみついている女性も数人いました。私は普段、潜水士として海に馴染み、安全のプロとして海水浴場の警備責任者を任されてもいましたので、津波の流れを読み、機会を見計らって飛び込みました。すぐ後ろで妻と七歳の息子が「やめて、お父さん行かないで」と叫んでいましたが、私には行かねばならない気がしたのです。

校舎内にあった消火ホースを手渡し、桜の樹の男性を含め合計四名の方を救助しました(内一名は真夜中に亡くなりました)。この度各方面から推薦を受け、このようなかたちで表彰されることは喜ばしいことではあります。けれども、本当のことを申し上げれば、校舎に戻ったあと「たった四人しか助けられなかった」という後悔に似た気持ちが生じました。ドライスーツを着ていれば、一晩中救助を続けて何十人でも助けられたのではないか。安全のプロだと思ってやってきたが、自分もまだまだなのだな、と。

中日新聞

その後、避難所から(私自身も家屋を流されましたので)行方不明者捜索のために数ヶ月間、瓦礫の風景の中へと通い続け、数百体の遺体を引き上げましたが、日ごとにそうした思いは強くなっていきました。閖上地区は九百名以上の犠牲者を出し、今もなお行方不明の方々が五十名以上います。豊かな自然に恵まれていた街は更地になり、人影もなく、変わり果てた荒涼とした景色だけが残されています。復興へは長い道のりとなるでしょう。

しかしながら身近に喜ばしいこともいくつかあります。人命救助の話しを聞いた地元の若者たちが、潜水士になりたい、と私のところに集まってきたことです。二十歳にもならない若者もいますが、夢や目標を見つけて頑張ろうという彼らに、できる限り手助けをしたいと考えています。

河北新報

いまは彼らと一緒に名取希望塾というのを運営しています。今後の街づくりを一緒に考えたり、ともに学び合ったり、多感な時期ならではの悩みを語り合ってみたり。新しく復興した街を未来に引きついでいくのは、彼ら若者たちです。そのときまで我々大人が頑張らないといけません。ともに支え合って、この困難な時期を乗り越えていければと願っています。