東日本大震災における貢献者表彰
宮古市消防団
宮古市の消防団で震災発生時、大津波が迫る中、住民の避難誘導及び水門の閉鎖をした。活動中団員16名のいのちが奪われた。被災地区管轄外の分団も出動し、住民の救助及び行方不明者の捜索、消火活動、瓦礫の撤去など延べ出動人員13,332名、日数は82日間の長期にわたり活動した。また、被災地区内及び避難所や仮設住宅における警戒活動も昼夜を問わず実施した。
「東日本大震災の教訓」
先般、公益財団法人社会貢献支援財団様より、東日本大震災における貢献者表彰を賜り、大変感謝申し上げております。
式典会場では700余名の出席者の中での受賞で、感涙にむせぶ思いでありました。改めて日下会長様をはじめ、関係者の方々に御礼と感謝を申し上げます。
私たち消防団は、今後も市民の生命・身体・財産の保護のため、今回の大震災を教訓として、ますます、団員一同、切磋琢磨して二度と消防団員が犠牲にならないため、訓練及び教育をしてまいりたい思いで訓練しております。
最初に、救護活動においては、被災した方々を救助することが、ある程度できたこと、瓦礫の中からも救助することができたのは、震災発生時間が日中であり、周りの状況が見えていたためと思われます。これが夜間の発生であったと考えると背筋の凍る思いであります。
消防団員の中には、水門を閉鎖し終えると同時に津波が襲来し、高台に避難することも出来ずに防潮堤の一番高い場所に駆け上がり、雪が降る中、午後九時頃まで降りることが出来なかったとの報告も受けております。
二日目から、各分団員は、早朝にもかかわらず、救助・救出に活動・作業をこなし、幸いにも旧宮古市では、震災直後の火災が無く、捜索活動に専念することが出来ました。
しかし、田老地区では、建物火災から延焼して山林火災が発生し、加えて消火活動が思うように出来ず、また、消防ポンプ自動車も流出破損して消火作業自体にも手間がかかる状況でありました。そこで、被害を受けていなかった第七・第八方面隊の四個分団を指揮し、岩泉町方面を迂回させて消火活動にあたらせました。
今回の災害では、被災していない分団では、屯所を市民の方々の避難所として開放し食料確保に奔走し、食事を提供したとの報告も受けました。その結果、市民の方々からは、消防団員及び、自衛隊の方々には大変お世話になったとの言葉をいただき、市民の一声が分団の活力になったと感じております。
今現在は、宮古市の計らいで、消防自動車を流出破損した分団にも六台配置でき、本来の消防活動が出来るようになりましたが、屯所などは、仮屯所・仮車庫の状況であり、今後の街づくりの中で考えて行かなくてはならないと思っております。
宮古市は、平成の大合併で、田老町・新里村・川井村が合併して広大な面積(1259.89k㎡)となり、消防団の活動も広大過ぎて、幹部会議に出席の際は、車で一時間以上かかる幹部は自家用車を使用せざるを得ないので、各方面隊に連絡者を配置したい気持ちではありますが、現状は厳しい状況であります。
現在は、消防団員が震災後減少している状況であり、新入団員の入団促進を考えております。
団員の待遇改善、手当等の見直しについて、総務省、消防庁も動き出しており、自治体においても出動手当等の見直し・増額を検討との報道もあるので、消防団としても期待をしているところです。
五月一日には、帝国ホテルでの受賞式に出席させて頂きましたが、私たち消防団の活動を認めて頂き、四十五個分団・1283名を代表し、関係各位の皆様に感謝申し上げます。
私たちも、市民のため、今後ますます精進し、市民に期待される消防団として頑張る所存でありますので、ご指導、ご鞭撻をどうぞよろしくお願い致します。