東日本大震災における貢献者表彰
細川 繁一
大船渡市の避難先で大津波に飲まれ、水に沈みながら流され助けを求める女性に気が付き、着衣のまま4メートルの高さから飛び降りて手を差し伸べ、海水を何度も飲みもがき苦しみ、水を含んで重たくなった女性を必死に引き揚げ救助した。その後も押し寄せる大津波に何度も襲われる中、フェンスに必死に捕まり一命を取り留めた。
この度は受賞者に決定させて頂きましたこと慎んでお礼申し上げます。
私の家は代々漁家で、海の仕事に携わって私も育ちました。今は、わかめ養殖を主流に、ホタテや昆布養殖業に日々営んでいます。自宅は三陸海岸を目の前にして高台に、わかめ加工作業場と一緒に建っております。
私はあの日、東日本大震災の3月11日2時46分アルバイトのおばさん達と一緒にわかめの芯抜き作業中でした。その中には今回推薦をしてくれた高橋節子さんもいました。
高台に有る自宅近くの作業場でワカメ作業をしていた時です。物すごい地震で作業場のあらゆる物が壊れ落ち、あまりの恐ろしさに外に飛び出し、長い揺れが治まるのを待ちました。アルバイトのおばさん達や、高橋節子さんも約50M下に有る自宅を見回りに帰って行きました。私は直ぐに自家用車のラジオのスイッチを入れ津波情報をずっと聞いていましたが、海を見るとどんどん海の水が引き始め、今まで一度も見た事の無い遠くの海底までしっかりと見ることが出来たのです。
51年も生きてきた中で初めてのことなので、ただただ驚きました。それから間もなくして、大津波が押し寄せて来ました。その様子をカメラに収めようと庭先の高台から撮っていました。押し寄せる大津波は高橋節子さんの家も飲み込んでいました。
その時です、「助けて、助けて」と甲高い悲痛な叫び声が聞こえ、見ると高橋節子さんが大津波に流され助けを求めていたのです。
ただただ助けなければと、大津波の事も危険な事も考えずに夢中で節子さんを助けたい一心で、約3M近い石垣の上から飛び降り助けに行きました。私は助けようと何度も手を差し伸べましたがなかなか引き上げられず、身体の向きを何度も変えてようやく引き上げる事が出来ました。服を着ているうえに海水を含んでいるので、非常に重たかったのと、波がどんどん移動しているので大変でした。その後も次から次と大津波が押し寄せ、私にも大津波が襲い掛かってきましたが、必死にフェンスに掴まり大津波に流されずに難を逃れました。
高橋節子さんを助けた事はもちろんですが、人助けが出来たと云う喜びの方が大きかったです。
これからも助けを求める人がもしいたならば、私は行動をします。