社会貢献の功績
竹内 敬一
昭和58年に八ヶ岳で山小屋経営を始めたころから山岳救助活動に携わり、平成2年に山梨県の長坂警察署山岳救助隊に参加。27年の長期にわたり、八ヶ岳や甲斐駒ケ岳を中心とした遭難現場に出動し、困難かつ危険な救助活動を克服し多数の遭難者を救助している。また、平成12年に救助隊隊長に就任し、現在に至るまで、山岳救助活動や登山者の遭難事故防止活動の中心となって活動されている。
私が山岳救助に関わり始めたのは、山小屋の経営という地理的条件からでした。遭難の現場に近いということで散発的ではありましたが警察の救助活動に協力してきました。そのうちに救助隊も人材が乏しいとのことで、当時山岳救助隊の中心になって活動されていた先輩から正式に参加して欲しいと要請されました。
私は以前から山小屋経営の他に、山岳ガイドも仕事としていた為、登山技術や救助技術を買われたのかもしれません。
山岳救助隊は警察官と地元の山岳会で構成されていますが、救助訓練などの際には、いつの間にか自分が講師になっていました。そこで救助隊全員が同じ技術を持てるように、ガイド用のレスキュー技術を救助隊用にアレンジしてオリジナルのレスキューマニュアルを作成したりもしました。しかしその当時遭難救助の全てに関わっていたかと言えば「否」でした。
土曜日や日曜日は山小屋や山岳ガイドの仕事で忙しく、遭難が発生しても、その全てに駆け付けることは困難だったからです。救助隊の先輩に叱られたのはそんな事が何度かあった折でした。「救助には人命が係わっているんだよ。もうちょっと真面目にやってくんねえかい!」出動の要請を断る度に、後ろめたい気持ちでいた自分には痛い言葉でした。しかしその先輩の一言で、全て吹っ切ることができました。考えてみれば、自分は千葉県の九十九里浜に生まれ、学生の頃からは雑然とした都会に住んでいましたが、山好きが高じてどうしても山の中に住みたくなり、その山として八ヶ岳を選び、30年前にやってきました。ところが風来坊のような私に山小屋を継がせてくれたり、救助隊に誘ってもらったりと、地元の方々に大変お世話になりました。なるべく人間と関わりたくないと思って入った山で、逆に沢山の人と知り合い、生かし生かされている自分を感じていたのです。
それからは要請があれば、どんな時にでも救助に行くと心に決めました。
数年後、私は隊長に任命されました。山岳救助隊などというと格好良く思えるかも知れませんが、実際危険な場所で瞬時に最善の救助方法を考え、判断を下すことは責任の重さを痛感するがゆえに、相当な孤独感と恐怖心を伴います。最初の頃はその重圧に苦しみましたが、救助隊の仲間達、警察官の方々、ヘリコプターを運用している航空隊の方々との友情や信頼関係を感じている今は、それも少し緩和されました。
山梨県北杜警察署救助隊の管轄は、八ヶ岳の南部、南アルプスの北部、奥秩父の西部と広大です。少しでも遭難を防ごうと、登山道の鎖場整備等、警察官も交え一緒になって取り組んでいます。
これからも三者の連携を深め、いざ遭難となれば迅速に救助できるよう、日々精進してまいりたいと思っています。