社会貢献の功績
Dr. S.K.Noordeen
南インドのタミルナードゥ州で生まれたノーディンさんは、マドラス大学とカルカッタ大学で医学を学び、米国ミシガン大学で公衆衛生学を学んだ。インド建国の父、マハトマ・ガンジーが不可触賎民とされたハンセン病の患者及び家族の救済に尽力したその姿に深く感銘したノーディン博士は、25歳の時、南インドのチングルプットにある国立ハンセン病教育・研究所の一員としてその活動を始めた。そのときから50年、研究者として、医師として、保健行政の専門家として一貫してハンセン病にかかわり、病気として、さらには社会問題の根源として、ハンセン病の全面的な制圧の努力を続けている。
1979年(昭和54年)、ノーディンさんはWHO(世界保健機関・スイス)本部のハンセン病担当として赴任し、当時薬剤耐性の出現で憂慮が広がっていたハンセン病の治療に、複数の治らい薬を組み合わせて処方するMDT(多剤併用療法)を開発し新しい可能性を開くことに成功した。さらに、ハンセン病専門医の存在が期待できない途上国のフィールドでも、科学的知見と公衆衛生対策の体験に基づき、MDT処方の簡略化(月別服用シート)や診断基準の簡素化に優れた指導力を発揮、世界のハンセン病の診断と治療を大きく転換させ、「人類がハンセン病を制圧する」という不可能と思われた夢の実現に比類ない貢献を残した。
‘84年からはWHOの世界ハンセン病制圧活動の責任者となり、‘91年には、世界保健総会で「2000年までに人口一万人当りの患者数を1人以下にする」という公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧の決議を、全加盟国の賛成で成立させた。その結果、世界のハンセン病対策に具体的行動目標が生まれ、各国政府はその達成に責任を負うことになり、大きく展望が開けた。さらに、全世界へのMDTの無償配布により、‘85年以降、1,600万人以上のハンセン病患者が治癒し、‘00年には世界全体として「人口一万人当り患者数1人以下」の目標を達成した。しかし、国別に見ると依然としてインドなどハンセン病患者の多い国が残った。幸い日本財団、ハンセン病NGO、ノバルティス社等の協力を得て、ついに‘05年末、インドもハンセン病制圧を達成した。
WHO定年後は、インド・チェンナイに戻り、国際ハンセン病学会長、インドハンセン病学会誌編集長として活動を続けている。‘08年2月にはインド・ハイデラバードで開催された第17回世界ハンセン病会議を会長として主催し、ハンセン病対策の総括と今後の課題の明確な提示の場とすることに成功した。
これからのハンセン病対策は、医学面のみならず、社会面、特に「偏見・差別の撤廃」が大きな課題となり、当事者であるハンセン病回復者も有力な主体として活動に取り組むことが不可欠となる。ハンセン病蔓延の地・南インドで、患者や家族の苦しみや悲惨さを目の当たりにした日々の記憶を心の奥底に、ノーディンさんの活動は続けられている。
受賞の言葉
表彰式典の素晴らしさに感銘を受けました。厳粛な表彰式から始まり、祝賀イベントまで大変良く構成されていました。このような素晴らしい賞を頂戴し、また私のハンセン病との闘いの努力を認めて頂きました事に心より感謝申し上げます。
社会貢献者表彰は、社会福祉分野における功績だけでなく、他の分野の人的努力についても、模範的な行動を称え、促すものです。本賞の受賞を大変光栄に思い、また他の受賞者の方々との交流はとても有益でした。貴財団が今後も社会福祉活動を促進され、人類の発展に貢献されることを祈念いたします。