社会貢献の功績
川又 直
川又さんは東京で進学校の高校に進んだが、高校教諭で教育熱心な父親に反発し、勉強に身が入らず落ちこぼれたという。卒業後、家を飛び出し、静岡の牧場でアルバイトをしていた時に牛の世話をしていた先輩から、教養を身につけることの大切さを学び、5年遅れで夜間の大学に入学、大学に通いながら職を転々とした。
大学を卒業後、再び牧場で働き始め、そこで不登校の子どもたちの合宿にボランティアで参加した経験から、問題を抱えた若者を支援していこうと決めたという。
そして昭和62年、夫人とともに何度か訪れたことがあった富山市郊外の農村地帯で「Peaceful Houseはぐれ雲」(「はぐれ雲」)を設立し、子どもたちと共同生活を始めた。寮生も、口コミで徐々に増え、建物も何度か増築を重ね、現在20人、平均年齢も20歳を超える。出身地も全国さまざまである。
代々家を守り、田畑を耕して来た人々の住む静かな農村地帯である。農村では見かけない茶髪の子どもたちとの生活に対する地域の不安を一つ一つ取り除くために、川又さんは地域の行事に積極的に参加し、人のやりたがらない役目を引き受け、話す機会があれば積極的に話をして、地域の理解を得ることに努めた。
兼業農家が多く、農業の担い手が不足する地域にあって、農家を手伝うということから農業が「はぐれ雲」の生活の大きな柱になっていった。農業は天候に左右され、手を抜けばそれなりの結果しか出ない。手をかければそれなりの成果が現れる。
日中は外での作業になるので、子どもたちは自然に生活のリズムが整うことになる。昼間身体を使って働けば、夜は自然に眠くなる。 また共同作業の中で、仲間や地域の農業のプロの働く様を見て、働くことの意味を感じていく。
働くことが自然に身についた子どもは、地域の協力してくれる企業に実習に行く。「はぐれ雲」での自立の第一歩は、フリーターになることであるという。自分のことを自分で出来るようになった寮生の中には、ここから学校やアルバイトに通う者もいる。寮生の半分が近隣の工場などにアルバイトに行っている。全部が巧く行くわけではない。川又さん夫妻で苦情処理とフォローに走り回ることもある。子どもたちはやがて自分の進路を決め、自分の足で歩き出す。
川又さんが子どもたちが自立して行くために大事にするのは、「規則正しい生活」と「農作業」そしてその場を提供してくれる「地域」だ。寮生は朝6時半までに周囲を散歩することが決められている。決められた時間に食事をとり、勉強し、農作業をする。「はぐれ雲」は寮生の寮費と農業による収入と夫妻のきりもりで運営されている。
「はぐれ雲」は13年には、「NPO北陸青少年自立援助センター」として、法人格を取得、17年には厚生労働省のニート支援事業「若者自立塾」として認定されている。20年で329名の若者を受け入れ、進学や就職の支援をしてきた。
川又さんは、もっと早い時期の子育て支援のあり方も模索しながら、活動を続けている。
受賞の言葉
人命救助の方々の功績の重さを考えると、私などが受賞してよいものか、戸惑いを覚えた。21年前、縁もゆかりもない富山でのこの事業を始めたのは、33歳。妻と幼い二人の息子と5人の寮生だった。貧乏だった。とにかく継続させることに専念した。初めて遭遇する出来事も多く、よくつぶれなかったと思う。今、不登校、引きこもり、NEETといわれる青年達の高齢化が進み、以前は中高生が中心だったものが、20歳以上が多くなってきた。もう、対症療法では、限界が近くなってきている。今後は、予防策に重点を置くことを啓発していく。