社会貢献の功績
門口 淳
門口さんは出生直後の長男が、小児てんかんにより、医師から「知恵遅れになるかもしれない」と宣告を受けたが、奇跡的に全快した経験を持ち、「いつか知的障害者に自立の道を…」と思っていた。
昭和58年まず神戸市の自宅を解放し、障害者の作業所を開設して、段ボールの箱折りや車椅子の組立等の作業を始めた。次に本格的な知的障害者の授産施設の設立を前に、膨大な建設費や授産部門の技術を集積するために、60年からパン工場をスタートさせた。
長女といとこがパン造りの技術をマスターするために、地域のパン屋さんに実習先を求めた。門口さんはじめ家族の熱意に打たれた地域のベーカリーの店主が、数年はかかるパンの製造方法を数ヶ月で伝授してくれた。また製パン業の老舗の店主が、遊休施設になっていた同店のパン工場をそのまま福祉工場に提供してくれた。パン屋さんをはじめとする市民の善意と協力により、パンの福祉工場の操業を始めた。
出来たてのパンをワゴン車で、市内の住宅地などを移動販売したが、売れ行きは思わしくなく、「障害者が造ったパンなど何が入っているか分らん」と非難もされた。そのような時、門口さんの奥さんの守子さんから、パンの売れ行き不振の相談を受けた地域の靴の量販店の社長が、同店内にパンの売り場を提供してくれた。待望の店を構えることが可能となり、ようやく授産部門の母体となるパンの福祉工場が軌道に乗った。
一方同県の三木市では、知的障害者の授産施設がなく、障害者を抱える親達にとって施設の建設は長年の懸案であった。門口さんの同市の所有地内に社会福祉法人「まほろば」を設立した後、同地内での障害者の授産施設「三木光司園」の建設計画は県と同市そして神戸市から補助を得るなかで62年に実現した。鉄筋コンクリート造りの平屋建てで、パンやケーキを焼いたり、車椅子の組立てを行う作業部屋があり、同市から20人、神戸市から10人の入園者を見込んで完成し、本格的に門口さんの活動が始まった。
その後施設は、同市と神戸市の要請に応じ増設され、門口さん夫妻と7人の子どもたち(長女は平成3年病気により逝去)を中心に運営され、障害者117名の就業を実現させている。
門口さんは障害者支援のほかにも家庭裁判所から非行少年の更生委託を受け、就労援助により更生に導くとともにネパールに「まほろばソーシャルサービス」を設立し、同国の貧しい子どもの就学援助を行なうなどの活動も続けている。
受賞の言葉
この度、社会貢献者表彰を頂き、誠にありがとうございます。すばらしきホテル「ANAインターコンチネンタル東京」での宿泊、当日の受賞者受付、リハーサルと、式典が近づくにつれ緊張感は増し、常陸宮殿下、妃殿下のご臨席の下、厳粛なる授賞式では喜びと感謝の念は頂点に達しました。海外の受賞者の方も同じ思いだったのではと思います。施設でお預かりする障害者の保護者の方に「おめでとうございます。やっと報われましたね。」と言葉をかけられて感無量でありました。今後一層人だすけの道を邁進したいと存じます。支援財団の皆様方に充分のお世話を賜り厚く御礼申し上げます。