社会貢献の功績
岐阜・野宿生活者支援の会
支援の会は平成11年、その4年前の阪神淡路大震災でボランティアに参加し、復興から取り残された人達に心を痛めたことがある岐阜のパブティスト教会の関係者が、市内の野宿生活者を支援するために有志に声をかけ結成された。自らが牧師を務める野口哲哉さんが代表となり、現在会員25人、農家や商店からの支援もある。会員は定年後の年配者を中心にサラリーマン、学生などである。経費はカンパや岐阜市からの補助により賄っている。
リュックサックにおにぎりとお茶を入れ、自転車で市内の公園などを3人で回ったのが活動の始まりであった。現在は基礎的な活動として毎週金曜日の炊き出し(50人前後)や物資の配布、夜回りを行ない、さらに個別的に生活相談や自立支援活動も行うなかで、今まで11人の自立を促している。
炊き出しや物資の配布は、ボランティアと野宿生活者、そして野宿生活者同士の交流の場にもなっている。特に夜回りは野宿生活者とゆっくり話す時間を取り、親しい関係を築くように配慮している。
支援の会の活動の一端を伝える、岐阜市の消費生活センターの職員の次のような話がある。
「ある日、JR岐阜駅高架下で足を痛めて動けない初老の男性の野宿生活者が数日座り込んでおり、何年かの着た切りと汚物で辺りにものすごい悪臭を放っていた。その臭いは壁を通りぬけるほどであった。隣接の施設管理者や警察官や道路管理者も声を掛けたが、あまりの臭さになんら打開されずに数日が過ぎていた。立ち退かせればよいというものではなく、身体を清潔にしてやり、触れるだけで痛がる状態を治療してやらなくてはならないがそれができない。生活保護の担当は、住所が不明なため対象外であるという判断をしてきた。ようやく市民病院に担ぎ込めば、病院で受け入れ、生保扱いにするという了解をとれたので、後は誰が着替えさせ、連れて行くかになった。その作業をしたのが"野宿生活者支援の会"であった。団体の代表者とその有志などで、近くの施設から運んだお湯で洗って着替えさせた。蛆(うじ)が何十匹、何百匹と涌き、衣類は皮膚に密着してめくると皮膚がはがれた。こんな人の世話は誰にもできない。それを何のためらいもなく声を掛け、そのうちの一人は、市民病院まで救急車のあとを自転車で追いかけ最後まで見届けた。治療に際し、指を切り落とすかという話もあったがそこまで至らず、一月半ほど入院し、その後施設に入所した。現在男性は、老人ホームで静かに生活している。」という話である。
どうしても行政側は、前提条件が整わないと手をつけず、結果的に現場との間に隙間ができる場合がある。野宿生活者の支援についても救急車を呼んでも、本人にためらいがあり、いらないとなる。結局人とのつながりでしか救えないことになり、そこで支援の会の活動は貴重なものとなる。
野口さんは「他者とのつながりが人を支える。支援の会の規模は小さいが、一人でも多くの野宿生活者に温かい手を差し伸べ、少しでも多くの自立の出来る人を増やしたい」と活動を続けている。
受賞の言葉
受賞を心より感謝を申し上げます。ホームレスの方に命や希望をつないで欲しいと願って続けてきたボランティア活動が評価されたものと感謝しております。受賞のきっかけとなった、駅前で倒れていた人の救助については、岐阜市の職員や救急隊員、あるいは市民病院の看護士の方などが、人として誠実に関わってくださった「協働」の成果だったと思います。地域の方々からもお米や衣類の提供など、たくさんの支えをいただいています。受賞を励みにさらに地道に取り組んでいきます。