社会貢献の功績
塚越 恒德
塚越さんは、お兄さんが障害児であり18歳で亡くなった。昭和44年千葉県の教員になり障害者学級の担任となった時は、これが自分の仕事だと強く思ったという。当時は軽度の障害児は就労することが可能であり、ガラスや繊維の工場での軽作業につかせるため、中学を卒業する生徒の就職活動に奔走したが、中・重度障害をもつ子供は在宅せざるを得ない状況であった。
そのような状況下で共同作業所を船橋市内に作ろうという運動展開をした。活動する時間は夜間や休日に限られたが、その全てを傾注し、約10年をかけて地域の母親たちと連携、昭和54年に船橋市芝山に千葉県で初めての共同福祉作業所「茗荷舎」(みょうがしゃ)を設立した。作業所で周囲の善意と協力に支えられながら「フトン乾燥事業」を開始した。
昭和59年から千葉県の安房養護学校に単身赴任をしたのを機に、5人の障害者と共同生活を開始。千倉町(ちくらまち)の協力者が土地を無料で提供してくれ、さらに友人から不要となったプレハブ住宅をもらい受け、翌60年重度障害者のための共同生活実習所「ありんこの家」を同町の白間津(しらまづ)に設立した。5年後には市町村運営となり「中里の家」に改称されたが、指導員を含む「ありんこの家」の共同生活者はすべて引き継がれた。
平成3年からは、障害児者を戸外へ連れて出かけるためのボランティア団体「ゆーいんぐ」を立ち上げた。日帰りの温泉旅行など関東近辺の様々な場所へでかけ、障害児者を温泉に入れたり、地元の人たちとの交流や、芸術鑑賞など、旅行ならではの楽しいときを過ごす為の支援活動を10年以上続けた。同15年に特定非営利活動法人(NPO法人)申請を行い、現在は「NPO法人ゆーいんぐ」として、障害者のみならず子供からお年寄り、ニート、ひきこもりなど様々な障害や問題を抱える人々を支援するためさらに活動を拡大している。
塚越さんは「船橋市の教員であった経験から市の福祉課には何度も折衝し、行政が動き出せばそちらにまかせて見守るようにしている」という。平成17年に教員を退職してからは、地域の子どもたちのために無料の寺子屋教室をひらき、復習勉強などを中心に指導している。また月に2回程土曜日を利用して、子どものための自然体験教室も実践するなど福祉活動の範囲をさらに広げ活動を続けている。
受賞の言葉
この度は社会貢献の功績という名誉な賞をいただき誠にありがとうございました。40年前、特殊学級を卒業はしたものの在宅を余儀なくされた卒業生に誓いました。「必ず君が通える福祉作業所を作る」と。10年かかりましたが、多くの方々の力添えにより千葉県初の民間福祉作業所「茗荷舎」を作ることができました。以降いくつかの作業所の立ち上げに関わってまいりましたが、「私がやらなきゃ誰がやる」の初心を忘れる事無く今後も邁進してゆきたいと考えております。