受賞者紹介

平成16年度 社会貢献者表彰

第三分野/特定分野の功績

ハッピーファミリー賞
くによし かなこ

国吉 佳奈子

(昭27.3.9生 52歳/沖縄県島尻郡)
国吉 佳奈子
東京で育ち、戦争の傷跡の残る沖縄の渡嘉敷島(村)の国吉家に嫁ぎ、夫が急死した後、病弱の義父と3人の子どもを抱え、苦労を重ねながら家業を立派に切り盛りし、島の観光化に尽くして島の人々から信頼を得るとともに、子ども達を立派に育て上げられた。
推薦者:国吉 晴大

受賞の言葉

この度の受賞は感極まりなく感謝で一杯です。
復帰して32年、戦跡地である南の島に嫁ぎ、観光立村に変動する中、父母や主人の他界が続きました。
私が今日あるのは、いつも子供達の前向きな姿にむしろ励まされてきたからです。成人した子供達が島に戻って参ります。
今後は家族が一丸になって観光誘致と並行して、自然保護の領域を見守りながら人作り、島作りの一陣になるよう努力して参ります。

沖縄が本土に復帰して5年後の昭和52年 3月、国吉さんは東京から渡嘉敷島の夫のもとに嫁いだ。渡嘉敷島は敗戦間近に日本兵から集団自決を強いられた島であり、本土出身者がその狭い閉鎖的な社会で味わった苦労は想像に難くない。夫の栄さんは本土復帰後、島の観光立村を目指し、独力で観光業を始め、大型民宿を作り、議会に出、島おこしに尽くした渡嘉敷島のリーダー的存在だった。妻を終始かばい続けた栄さんが14年前、白血病で突然他界し、後には多額の借金と、年子の幼児3人、慣性硬膜下血腫とリウマチ、心臓病を患い、嫁だけが頼りの義父が残された。防波堤の夫に先立たれ、茫然自失、東京に逃げ帰るだろうと島では噂され、やせ細り泣き暮らしていた国吉さんがある日を境に突如変わった。大型バスの運転免許をとり、ペンション経営に精を出し、義父の手を握って励まし、子ども達には何事からも逃げてはいけないと言いきかせ、時として厳しい父親にもなった。よそ者として国吉さんを見ていた島の人々は、尊敬を込めた温かい眼差しへと変わっていった。今、国吉さんは島の人々から信用を得て、女性初の商工会副会長を3年務め現在も続けている。井の中の蛙にならないよう大海を見てしっかり島を守りなさいと、3人の子ども達は全て県外の大学に進学させた。義父と子供と家業を守り島に尽くした東京っ子の国吉さんは今や全く渡嘉敷島の人である。