第三分野/特定分野の功績
山田 佑平
山田さんは昭和16年に日魯漁業(株)に就職、船大工の見習いとなった。戦前の日魯漁業は、千島・カムチャツカ水域の漁業で非常に潤っており、漁船の製造やメインテナンスのために、船大工の育成を余裕を持っておこなっていた。和船そのものはこの時点ですでに衰退の一途をたどっており、その製造を積極的に行っていたのは、北海道だけだった。そのような中で、山田さんは若い船大工として経験を積んでいたが、昭和18年以降は、北方水域では事実上操業が行えなくなり、同社の和船の製造も終了した。
山田さんは海外への派遣、他の造船所勤務などを経て退職した後、船大工としての経験や知識を生かして、木造船の技法を文書で後世に残そうと考え、活動を始めた。平成5年、自身の知見をまとめた書籍「船大工考」を刊行した。その後も折々に木造船への思いを綴る一方、「ベトナムに木の船を訪ねて」「三等船大工ノ呟キ」等多数の冊子を作成し、関係者へ配布をしてきている。
造船は経験工学とも言われ、船大工一人ひとりの作業現場での工夫の積み重ねの上に、和船の建造技法はゆっくりと進化してきた。物作りの技法を残すためには、図面とマニュアルと道具の保存とが必須だが、船大工はその職人気質のためもあり、自分たちの苦労や腐心を語ること、ましてや書き留めることはほとんどしてこなかった。このため、和船の現場作業のノウハウは、今や皆無に近い状態になりつつある。そのような状況の中で、自身の経験という強みを生かした山田さんの記録は、往時の船大工の息づかいが聞こえてきそうな貴重なものとなっている。
一方、散逸・廃棄の途を辿る船大工道具の収集に平成7年頃から取りかかり、保存に努めた。2000点余にも及ぶこれらのコレクションは、一昨年市立函館博物館に寄贈された。
これらの活動は全て本人の自費でなされている。また青森みちのく漁船博物館評議員として、津軽、下北地方及び道南地方の木造漁船の保存活動等に尽力するなど、和船・木造船の研究会活動を精力的に続けている。