第二部門/多年にわたる功労
奈須 輝美
中学校の教師をしていた奈須さんは、日赤中央病院(現在の広尾医療センター)に病気のため通院を繰り返すうちに、3時間近くにもなる待ち時間を役立てたいと考えるようになった。医師と相談し、昭和49年6月から友人と2人で、小児病棟の子どもたちにボランティアで勉強を教え始めた。医療機関は衛生面・安全面等から、外部の人間が病棟に入ることを基本的に好まない。奈須さんの行動とそれを受け入れた医師の決定とは、当時としては画期的なものだった。
また現在より子供の数が多かったため、完全看護の小児病棟では看護婦が一時に集中する食事介護のために忙殺されていた。これを知った奈須さんたちは、学習指導や遊び相手に加え、昼食介助も始めた。
初めは週に一度で、友人に声を掛けて手を増やしたが、長くなるにつれメンバーが減って一人になってしまったこともあった。奈須さんは出身学校の同窓会誌に活動を投稿し、ボランティアを募った。昭和53年に新聞の家庭欄で活動が紹介されたのをきっかけに、メディアで活動が取り上げられるようになり、参加者は徐々に増えた。「なすグループ」と名前を付け、活動日を徐々に増やして、平成3年からは日曜を除く週6日活動になった。内容も小児病棟だけでなく緩和ケア病棟などにも広がった。現在は学生から孫がいる人まで、様々な年代のメンバー50人が活動しており、そのほとんどが女性で、20年以上活動を続けている人が3名、10年以上の人が11名と、長期に続ける人が多いのも特徴となっている。
日赤医療センターでの活動が知られるようになると、他の病院からも活動を望む申し出が上がるようになった。奈須さんは現在、日赤医療センター、済生会中央病院、都立広尾病院の3ヶ所で、それぞれボランティアグループを作り活動している。
また、昭和63年から7年間、関東地区病院ボランティアの会の代表委員を務め、平成4年~8年はIAVE(International Association for Volunteer Effort)日本の理事を務めるなど、奈須さん個人もボランティアとしての活動の幅を広げている。
奈須さん自身はボランティア活動を行う間も病気に悩まされ続け、平成10年には大きな外科手術を受けているが、その間にも変わることなくボランティア活動を続けている。「健康な人ならいつでもできるが、わたしはそうはいかないのでやれる時にやっておこうと思う。細く長く頑張っていきたい」「家事ができた上でのボランティア活動が大事」と奈須さんは話している。