第三分野/特定分野の功績
ワソノ
ワソノさんは昭和28年から4年間、日本に留学して造船技術と日本語を習得、同32年に帰国後は習得した技術を生かしてインドネシア造船業の拡大発展に努めた。特に日本の提唱により始まったアジア太平洋造船専門家会議において、氏はその後のアジア諸国造船業の発展と国際協調の推進に大きな役割を果たす提言を行った。アジア各国での持ち回り開催、民間ベースでの国際交流の促進を提唱、同56年以来、同会議は隔年に海外で開催されており、造船分野におけるアジア諸国の国際交流に寄与した功績は大きい。
昭和32年、ジャカルタで日本への留学生の親睦団体「新宿会」を結成、以来40余年にわたり、堪能な日本語を駆使して日本の民間交流ミッションの受け入れ、若い学生の日本での研修斡旋に力を尽くし、両国の民間交流の促進に大きな成果を挙げている。氏の活動は日本人に対する純粋な好意によるもので、インドネシアの大学で学びたいという日本の若者の話を聞き、自ら後見人となって夢を実現させ、入学後も引き続き世話をしている。またインドネシア人と結婚した日本女性の良き相談相手となり、宗教や文化をも含めた生活の助言も数多く行った。同国赴任者には駐在中の仕事や生活に支障を来さないよう、生活様式や人間関係に及ぶインドネシア事情を説明して、非常に感謝されている。
また、氏の斡旋により来日した政府ベースでの研修生は80余名に達している。さらにこれとは別に、経済的に恵まれない若者を毎年10名程度、民間JICA方式を活用して広島県を中心に各地の造船所に研修生として送り出している。これまでに100人程度が来日しているが、彼らを通じ、広島とインドネシアの交流が年々活発化している。彼らは帰国後も草の根レベルで地道な交流を続けており、両国の良好な関係を築くうえでの一つの礎石となっている。
日本との交流援助活動は造船関係にとどまらず、他業界の民間人・ミッションが同国を訪問し要人と会談する際にも、受け入れ窓口の中核的存在として活躍している。