第三分野/特定分野の功績
畠山 重篤
宮城県本吉郡唐桑町に住む畠山重篤さんは、家業であるカキ養殖業を営んでいたが、昭和39年ごろから、気仙沼湾に異変が起きた。海苔の生産量が急速に減少し、ホタテは死にはじめ、赤潮を吸ったカキは身が真っ赤に染まった「血ガキ」になった。工場廃水や生活排水が増加し、沿岸からは小魚や小動物の姿がいつの間にか減り、河口に集まっていた天然のウナギはぱったり捕れなくなった。
昭和59年に研究者の誘いを受け、フランスのカキ養殖を視察に出かけた。養殖地の一つであるロワール川河口の干潟には、ヤドカリやカニ、小魚、シラスウナギがうごめいていた。それはかつての宮城の海の姿でもあった。ロワール川上流には広葉樹の大森林が広がっている。カキの産地は必ず河口だ。餌となる植物プランクトンは、森と川が育てているのではないか。漁民は海だけではなく、川の流域全体までを考えねばならないのではないか。
帰国した畠山さんは、漁師仲間にフランスの状況を説明し、気仙沼湾に注ぐ大川の上流に広葉樹の森を造ろうと呼びかけ、賛同した70名で「牡蠣の森を慕う会」を旗揚げした。しかし森と川と海との関連は感覚的に理解できても、科学的な裏付けはないのがもどかしかった。平成元年、松永勝彦北海道大学教授が、海藻が枯れる「磯焼け」について語っているのをテレビで見て、即座に電話をし翌日函館で会って話を聞いた。海洋化学担当の松永教授によれば、海の食物連鎖の基である植物プランクトンの生育にはフルボ酸鉄が必要であり、それは腐葉土層に含まれる、とのことだった。後に調査に訪れた松永教授は、気仙沼産のカキやホタテの養分は90%が川から来ていることを明らかにした。
平成元年9月、唐桑から約20キロにある室根山の山腹で、漁民たちと室根村の村民たちによる植林が始まった。地元の詩人につくってもらった運動の合い言葉「森は海の恋人」の下、植林は毎年6月第一日曜日に続けられている。大川の上流に植えられた落葉広葉樹はすでに30,000本を超え、面積は約10ヘクタールになった。影響を受けた植林運動は、全国15ヶ所以上で行われるようになった。
流域の子どもたちを集めての体験学習も行っている。養殖の現場に触れ、植物プランクトンを飲む経験をすることで、子どもたちからは「朝シャンの回数を半分にしました」「無駄な歯磨き粉を使わないようにしました」という手紙が寄せられるようになった。
畠山さんは「森と海との関係について考えてきたが、その間には人間の生活があった」と言い、植樹祭では「みなさんの心に木を植えていってください」と挨拶する。大川の浄化は進み、わずかながらウナギも戻ってくるなど、気仙沼湾の水棲生物は増え始めている。