第二部門/多年にわたる功労
武田 紀
昭和20年、はたちだった武田さんは「これからは人間を心から大切にする仕事に就きたい」と決意。受刑者の家族のケースワーカーとなった。翌年カトリックの洗礼を受け、22(1947)年、県内の児童養護施設「博愛園」に就職し、2年後24歳で同園長となった。以来、40年間児童福祉に身を捧げてきたが、退職後も「人間尊重の世の中のために尽したい」との姿勢は変わらず、平成元(1989)年、有志の私財と信者の寄付とで開設された民間シェルター「青涛の家」の代表となった。
青涛の家は武田さんと高知ボランティアビューロー代表でもあるカトリック教会神父、武田さんの実妹の3人が中心となり、傷ついた女性達の身辺の世話を行っている。その場所は加害者からの追跡から女性を守るため、一切公表していない。「申請の際に入所者のプライバシーが漏れる可能性があるから」と公的支援を受けず、経営が苦しい自立の道をあえて選んだ。窓口である高知ボランティアビューローや全国のカトリック教会、県女性相談所などを通じ、傷ついた女性達は青涛の家へとたどり着く。日本人男性との間に子供が生まれたものの、すさまじい男性の暴力から命からがら逃げてきた東南アジアや南米の女性、父からの性的虐待から逃げ出してきた女性、夫の暴力や暴言に耐えきれず、身一つで家を出た女性…。国籍、宗派、昼夜を問わず365日、無条件で受け入れている。
世間にあまり知られることなくひっそりと運営されてきた青涛の家だが、最近ドメスティックバイオレンスに社会的関心が高まり、武田さんがDVの講師になるなど被害女性の思いを社会に発信する機会が増えた。民間シェルターはここ数年徐々に増え全国に20数ヶ所設置されているが、その中でも青涛の家の被害女性救済の実績はトップクラスと言える。青涛の家のように「最長1年をめどに」と柔軟に暖かく見守ってくれる民間シェルターの存在は、被害にあっている女性達の心の支えにもなっている。
武田さんをはじめ、運営者の3人はいずれも70代で健康に大きな不安を抱えている。後継者の不在という厳しい課題も差し迫っているが、DVの実態や被害女性への支援の輪が広がることを武田さんは何よりも願っている。